古今東西を問わずに世界各地で繰り広げられた
人間の最も愚かしい所業は
その一方で対戦者達の政治・文化・経済等を含めた
総合的な『力』の品評会でもある。
今回、紹介するのは隣接する地域ながら共通性の少ない
『異文化』同士の対戦でもあり、
軍事史上屈指の『少数による各個撃破』が実現した会戦でもある。
時は隣の島国で三つ葉葵の家紋が『権威』と言う名の
重みを増しつつあった1619年の2月。
場所は最後の中華帝国『明』の辺境地域である中国東北部。
末期症状を起こしていた大帝国に挑戦状を叩きつけたのは
女真民族希望の星であり、優れた軍事的才能を持つヌルハチ。
彼は少数民族の力をフルに活用するべく、
近代の『国民皆兵』の先駆けとも言うべき『八旗』制を創設する。
この組織は単なる軍事制度ではなく行政制度も兼ねていて
狩猟民族の伝統がそのまま制度として確立されていた。
勿論、その軍隊の中核の成すのは精強な騎兵であり、
機動力を活かした急襲と一撃離脱が得意作戦であった。
これに対して明帝国は10万人規模の討伐軍編成を試みるが
予算不足の為に作業が進まず、用意が揃ったのは厳寒の2月。
どう考えても目標達成に有利な時期だとは思われないが、
魑魅魍魎が跋扈する中央政府にそんな事を考える余裕はない。
その陣容は自国の兵は8万弱、
事実上の属国であった朝鮮からの1万5千と
(20数年前の一件もあったが)
ヌルハチに反発する数千の援軍を入れた混成軍だった。
当然、この様な軍勢が統一行動が取れる訳もなく
圧倒的な兵力差を利した
(ヌルハチの動員兵力は推定2万弱)
包囲殲滅が唯一の戦術として採用された。
一連の戦争の大きなポイントとなったのは
主力の明軍が侵攻を予定していた直前の大雪だった。
既に闘志が有り余っている討伐軍指揮官の一人・杜松は
敵地への侵攻でにありながら無謀な猪突猛進を仕出かしてしまう。
当然彼等の動向はヌルハチ側に筒抜けとなり、
ヌルハチの脳裏には鮮やかな完勝劇が浮かび始める。
こうして『サルフの戦い』のキャスティングは整い、
歴史に名高い会戦が観客の拍手も演奏曲もないままに静かに開幕する。
『騎兵と砲兵の戦いは後者が必ず勝つ』
長篠の合戦の結果から日本人はそう思い込んでいる人が多い。
確かに砲兵(鉄砲)が勝敗を決定づける要因になったのは事実だが、
三河北部における完勝劇の最大の要因は
『鉄砲の威力を最大限に活かして且つ騎兵の長所を最大限に削った』
第六天魔王の下拵えに拠る部分が大である。
勿論、その逆もあり得る訳で
ヌルハチは信長とは違った意味での下拵え
−難しく言えば戦略眼−にの才に優れていた。
サルフの戦いは基本的に包囲殲滅を企図して軍勢を分離した
明軍に対して後金国(ヌルハチの国)が
『八旗』の機動力を活かした各個撃破を試みた会戦であるが、
同時に産業革命以前の鉄砲技術の未熟さが露呈した会戦でもあった。
この時代の明軍は火力装備に腐心し、
恐らくは織田・豊臣並みの火力装備率を誇っていた筈である。
しかしながら鉄砲自体は威力はあっても重量が嵩張り
連射は不可能で野戦には不向き。
そんな事を知悉していたヌルハチは先陣の騎兵達には
手足の様に乗りこなす騎馬から降りて、
重装備を利した近接戦闘で混戦に持ち込んで
後援の騎兵による攻撃力によって勝利を掌中に納めた。
まず山頂に昇った猪突猛進な軍勢を砲兵の視界が狭くなる夕刻に奇襲。
次いでそれぞれの進路に散らばっている軍勢に対して
防衛線を下馬した先発軍が取り除いて後方からの騎兵による強襲。
最後に残った軍勢には騎馬の機動力を利した三方からの包囲。
一連の会戦で示された『騎兵が砲兵に勝利する』パターンであった。
鮮やかな完勝劇を演じたヌルハチだったが後年の研究に拠ると、
この段階での彼等の要望は精々自勢力の確立と
12世紀の南宋と金の様に異民族が対等な立場による
自由交易の促進程度であったらしく、
それは当時の女真民族の国名が『後金』である事からも推測される。
しかし歴史の歯車は彼等が企図していた以上の動きを見せる。
無理に無理を重ねた大軍が完敗を喫した事実は
中華民族最後の大帝国の衰亡を一気に加速させ、
領域の各地で頻発する兵乱は単なる『叛乱』の域を超えていた。
鎮圧しようにも金・人・モノを含めた『資源』はなく、
後はお決まりの滅亡劇と収拾のつかない混乱へと一直線だった。
そして漢人と満人を上手く取り込んだ
『清』が中国の大地に根付くのはサルフの戦いから半世紀後の事である。
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