「うぃーす」
「おーっす」
「ちぃーす」
蝉の声がけたたましく鳴り響く7月の初旬、
Aクラス入りの御褒美として改築された『プレハブ小屋』では
日焼けしたプロフットボーラー達が今シーズンも安年俸で戦う
僚友達との再会の挨拶を交わしている。
「そっちはどうだった?」と昨シーズン途中から加入した
遠藤に尋ねたのはオフの粛正劇を潜り抜けた茂原だった。
「ああ、随分と知名度が上がってたよ。地元紙のインタビューも受けたしさ」
同期の二人がタメ口で会話を交わすのはごく自然である。
「羽生よりかは上手く喋れたかい?」
そこに割り込んだのが年長の正キーパーである。
「一応は、ちゃんとした日本語を口にしたつもりっすが小芝さんは?」
「うん、俺は自主トレも兼ねてコーチングライセンスの講習に参加してた。
まっ、歳も歳だしよ。老後の事は考えとかないとな」
「そ、そっすね」
二人の同級生が笑えない冗談に引き攣った笑顔で応じる。
「あー、尤もうちの鬼瓦が特別講師で来てたから普段と一緒だったけど」
微妙な空気を察したシュバルツ愛媛の最年長者はさり気なく話題を変更する。
「そいつはぁ災難でしたね」
「ああ、アシスタントコーチとして普段より絞られたよ。
ま、そのお蔭で今年のキャンプの課題も解ったけどね」
「えっ!」
「いよいよ『アレ』をやるらしい」
この場合、思わせ振りな笑顔を示すのは不要だった。
「バリバリのオランダ派が今まで指導しなかった方が不思議だったんスがね」
実は選手間のミーティングでも話題になっていたのだが、
何故か水谷は『アレ』を指導する事はなかった。
「レフティ・モンスターがうちに来て、
『木田−矢野−小栗』と縦のラインが揃っただろ?
鬼瓦が言うには『アレ』は各ポジションにコントローラーが揃わないと
上手く連動せずに無駄働きに終わるからなんだと」
それは両名に取っても頷ける理由だった。
「ま、確かに中途半端に『アレ』をやってくる所は
うちの餌食になっていましたからねぇ」
万能型ディフェンダーが神妙な顔付きでその光景を思い出す。
彼に取っては神聖不可侵に思えた戦術が
木田と矢野を中心としたワンタッチのパス回しの前に
砂上の楼閣の様に崩れる様はショッキングな光景だった。
「鬼瓦が言うには『仕掛けるタイミングが重要』なんだとさ。
そしてそのタイミングを計る為のが奴等なんだと」
キーパー経由の情報は誰もが首肯出来た。
「だから今年の『メニュー』はあんなにキツかったんスか」
生き残りの為にドリブラーからツボを抑えた
『ミッドフィルダー』への転身を図りつつある
−そしてそれはオフの契約交渉に吉と出た−
茂原は手渡された『自主トレ』の濃さに仰天していた。
『シーズンオフは英気を養う為であって遊ぶ為ではない』との
監督のポリシーの下で定期的に数値の測定を要求し、
その成果の報告を義務付けられている
−契約書でそう明記されている−
彼等は他のチームの様に呆ける事が出来ない。
「でもあれは『本番』に向けての準備運動らしい。
鬼瓦の奴、俺がトレーニングに励んでいる横で何と言ったと思う。
『キャンプはあと30%増しだから』だとさ」
「・・・・ゾッとしないっす」
「あのメニューは練習に耐え得る体力なり筋力を維持する
内容と言う事ぐらいは理解しているんですがねぇ」
プロフットボールリーグの創生は
スポーツ医学の発達と共に一般人への『啓蒙』と言う点でも貢献していた。
「ああ、しかも今年からは専任のフィジコも付くだろう」
昨シーズンの後半からついたフィジコの鬼軍曹振りは
語る単語が思い浮かばない。
「・・・・噂に聞く博多の連中とどっちがキツいんですかねぇ」
「さあ、判っているのは俺達の苦心惨憺の結果である
ボールをネットに押し込むのがこのキャンプでは
ゲロ吐いてぶっ倒れそうなあいつだって事だ」
小芝があごでしゃくった先には『得点感覚以外は平凡な兄ちゃん』が
双葉マークである事を立証する下手糞な運転振りを披露していた。
寒風厳しい二月にキャンプを行うプロ野球とは違って
湿気と熱気が漂七月に体力作りを行うプロフットボールの場合、
北海道の様な涼し気な土地でシーズンを乗り切る体力を養う。
ところが四国の田舎チームは一向に本拠地を離れようとはしない。
貧乏だからではない。
水谷に取ってはキャンプとは『チーム戦術を深める場』であり、
それには勝手知ったる本拠地の方が都合が良い。
間違っても鈍った身体の体調を取り戻す場ではない。
二年前にはちらほら見受けられた『不覚悟者』達は折りを見て放出している。
無論、選手達もその事は暗黙の内に了解していた。
そんな訳で彼等のキャンプは初日からテンションが高い。
「よし、行け!」
「もっと早く追い込め!」
「木田、躊躇するな!仕留める時は思い切ってやれ!」
「矢野!ブレークポイントは早目に設定しろ。それじゃ網が破れるぞ!」
「小栗、ボールを持ってから考えるな!味方が取る前に考えろ!」
水谷の怒声が真夏日が照らし出す天然芝生のピッチに響き渡る。
そしてこの年から新たに結んだスポンサーのロゴが入った
練習用ユニを着込んだ選手達は灼熱の太陽が照り付けている中、
上下左右の激しい動きを鈍らせる事はない。
「ほう」
その動きの良さに取材に来ていたマスコミ達から嘆声が上がる。
「今年はやるかも」
昨シーズンの6位はノーマークだった前半の貯金で逃げ切った感があった。
そのフットボールも弱者である事を自覚した冷徹な手堅さは感じられても、
自らの力量でゲームを支配する強者の傲慢さに欠けていた。
だが今年はより積極的に『強者』たらんと、
最早必須アイテムになった感のある『プレッシング』の導入に向かっている。
「戦力的にもマイナス要素はない。選手層の薄さは気になるが、
勢いに乗れば上位に食い込むかも知れない」
この日の各マスコミの取材レポートはこの論調で統一されていた。
『キャンプ』と言うよりも『合宿』と言う言葉の方が相応しい
シュバルツの模様は一般市民の見学が容易である。
幾ら注目を浴びたと言ってもこの段階での彼等は
『通だけが知っている』的な雰囲気を充分に漂わせていたので
後年の様に取材規制はまだ必要なかった。
勿論、年代別のカテゴリーに分けられた未来の主力選手達も
時間の調整さえつけば見学は可能だった。
「ちぇー、あと一歩だったのになぁ」
盛夏が来る前に早くも真っ黒に日焼けした小野寺は
芝生のピッチで相棒と試合後のクールダウンをこなしている。
「しょうがねぇよ。いくら俺とお前も頑張っても
相手にそれ以上に点を取られちゃあな」
背中を押す山崎は冷静に指摘する。
つい先程、彼等はとある全国大会の切符を賭けて
松山市内の名門少年団と予選の決勝を戦っていた。
「何であんな連中が『ランド』に行けるんだよぉ」
表彰台ではしゃいでいる連中を悔しそうに見つめる
悪ガキは自分が負けたとは思っていない。
これまでの試合では誰も自分を止める事が出来なかった。
勿論、今日もドリブルで何度も守備陣を切り裂いた。
その事実は『最優秀選手』と言う小さなメダルと記念品が立証している。
4−6と言う乱打線の成果は『シュバルツ愛媛U−12』が
破壊的な攻撃力と脆弱な守備力が同居している事実を雄弁に立証していた。
「でもまっいいか。俺の目標はあっちだから」
この時期の勘三郎はまだ勝負の執着心が薄い。
彼の目標は道路一つ隔てたグラウンドに出向く事であり、
少年世代のトップに立つ事でない事も理由の一つである。
そんな夢見る悪ガキの眼には『強豪』への変身を図るトップチームが
水分と知性を醗酵させた汗を吹き出しながら、
『本物の』プレッシングの取得に励む様が映し出されている。
「俺達も何時かあんなのやるのかなぁ」
山崎が複雑な組織戦術に戸惑いを隠せない。
「大丈夫だよ、俺とお前なら。今からここのやり方を覚えていったら
きっとトップにも入れて活躍できるさ。コーチもそう言ってたし」
「ああ、そうだな」
・・・この話は後年、痛みを伴う友情の証として二人の胸の内に刻まれる。
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