一時の迷妄から醒めた修一郎は年が明ける前から次の獲物に着手した。
既に大零山を掌中に収めて東側の小室への防御線を確保した
黒一天軍団長は当然、西側の羽戸川の方に目を向ける。
尤も洋駿・博方・標関のほぼ中間点に当たる鹿浜に目を付けたのは
卓見であると言うよりも常識的な見解であった。
ここで注目すべきは彼が用いた攻略方法である。
年が変わった直後に洋駿にやってきた『紅雪文書』の
編集者兼宛てには博方・鹿浜攻略に関する彼の見解が記されている。
『河南随一の商業都市である博方は捕り物の末に食しても
身が少なければ味付けも薄い痩せ魚の如く旨みがなかろうから、
かの大魚はなるたけ無傷で手に入れたい。
それにはまず鹿浜と言う足場が必要であり、
彼の地も大零山同様に野戦築城を持って取り囲むべきであろう』
この時既に結婚の意志を固めていた女性に対して
この様な味気のない文書を送る修一郎の神経は理解し難いものがあるが、
それを喜んで保存する雪香の神経も常人とは異なっていたのかも知れない。
「まあ、今回からは派手には勝つ気はないからな」
寒風吹き荒ぶ中、いつも通りに陣羽織しか羽織らない
猫背の軍団長は何度も繰り返した今後の黒一天の方針を声に出す。
あの醜態後、甚助に次の攻撃目標の下見をさせると同時に
思う所があって姫島や洛安での自分や黒一天の評判を聞いてみた。
すると彼があれほど苦心した敵中での野戦築城の準備には
殆ど全く人々の口の葉に昇らなかったらしい。
反面、最後の一幕に過ぎない群青鮫の監軍使の捕り物は
早くも街角芝居の題材になっているらしい。
−ああ言うどうでもええ剣劇の方が世間の受けはええんやな。
まぁ確かに俺も西管家への報告書にそこの部分を強調したんやけど−
根っからの武人でない修一郎にとって戦とは
『集団で行う組織的人殺し』の場に過ぎず、浪漫を感じた事はない。
だが戦の悲惨な実態を実感出来ない人々に取っては
勝敗以上にその部分にのみ感心が集まるらしい。
−ふん、阿呆らしいこっちゃ−
修一郎は冷笑と共にある決断を下していた。
古今東西、どの世界においてもそうだが
『先駆者』が同時代の理解を得る事は稀である。
本質よりも枝葉の部分に目を奪われた人々の
的外れな批判や嘲笑を浴びてる事も珍しくない。
宗洋島の歴史上、初めて戦に『損得の概念』を持ち込み、
騎士達の身勝手な『戦遊戯』の潮流に終止符を打った
修一郎も程なくその洗礼を受ける事となる。
「相変らず、銭が集まらんな」
本陣へ戻って幾つかの報告書に目を通した
修一郎は相変らず財布の固い現状に溜め息をついた。
「かような卑怯千万な戦のやり様に資金は出せない」
戦奉行の様な『一騎打ちこそ全て』みたいな奴から
銭を引き出せるとは思ってへんかったけど、これ商人の断り文句やからなぁ。
修一郎は当初、長期の対陣に伴う必要物資の莫大な消費を餌に、
『御用商人』の札をばら撒くだけで必要な金銭は引き出せると踏んでいた。
しかしながら姫島の御用商人や博方の非主流派は勿論、
お膝元の洋駿の連中でさえ成功の可能性や利益云々よりも
道義的な問題を重視していたのである。
「あいつ等は何が楽しゅうて自分等が低う見られる
『孝望』なんぞ、後生大事にしとるんや」
この島の基本道徳であり、全ての宗派の源ともなっている
教本は既に三世紀もの長きに渡り宗洋に君臨している。
だがこの思想を修一郎は内心で激しく嫌悪していた。
何が父母に従順たれだ。
俺の様にどっちも『ろくでなし』ならどないせえっちゅうんや。
一晩限りの不倫の結果による妊娠、
親父は半分自裁の様な戦死。お袋も難産で死亡。
『間違って生まれた子』『お前さえ生まれなければ皆が幸せだった』等と
恨み事が俺の懐かしむべき子守唄だった。
物心つけばついたで『不義の子』として陰湿極まりない苛めと
生命の危険すら感じた虐待の日々が待ち受けていた。
故に丹州からの脱出を賭けて受験した
西管家の胥吏試験は今でも人生最大の大一番だった。
「見てろ」
俺が俺である限りは誰にも真似の出来ないやり方で戦い抜く。
それが俺の前半生を不幸に染め上げたあいつ等への復讐だ。
この時ばかりは修一郎の眼光に激情が渦巻いていた。
「軍団長殿、各番頭が目通りを願っておりますが」
余った資材で作成した机の前で物思いに耽っていた
修一郎に対して祐筆の一人が今日も申し訳無さそうに取次ぎを行う。
「腹が痛いと言っておけ」
不満足な面に同じ言葉を繰り返すのが苦痛な修一郎は仮病を使う。
「それならばこれにて、との事でございます」
彼が差し出したのは薬箱一式である。
「?」
「何としても言上したき儀有りとの事でして、
洋駿一の薬師から取り寄せた名薬との事でございます」
これだけ気が回るのなら俺の意図ぐらい理解出来るだろうが。
そう思うがここまでされると会わない訳にも行かない。
奴等にも配下に対する立場があるだろうから。
「頭痛の方は本復致しましたでしょうか?」
「今日は腹の方が痛い」
「おや、それは失礼。ですがどちらにしても
病の種を除かん事にはいくらでも再発致しますぞ」
監軍使は攻撃許可を求めている。
「荒療治は却って健康を損なうとも聞くがな」
「我等の腕はその辺の藪薬師よりは上だと思いますが」
巨漢が逞しい二の腕を叩く音が周囲に響き渡る。
「ほな聞くが『玄武』は闇雲に戦った事が一度でもあったか?」
「確かに此度の砦は要地ですが、小生が率いる二番からの一斉射撃と
裏手から『伍』の遊撃を組み合わせば不可能と言う訳ではありますまい」
肥満漢は具体的な作戦案を明示した。
「二番は大零山の時ゃ、手練の射撃手が揃とったからな」
極端に戦力がない限り、損害や戦死者が出ない事はあり得ない。
前回の襲撃にしても玄武隊以来の古参も十数名が戦死している。
数は補えても経験が補える訳もなく、
大零山の時程の自信は首脳陣にはなかった。
「ですが、新たに補充した兵力を持って平攻め(強攻策)を繰り返せば
数の論理でこちらが押し切れるかと・・・・」
「平左、うちの兵は一平卒に至るまで有給で雇われてるんであって
士大夫様の領地で養っている所有物やないんやぞ」
こいつもまだまだ士大夫の概念が抜け切らんな。
端正な−黒一天に取っては希少価値に当たる−顔立ちを眺めながら
さて、何と言い含めたろうかと考える修一郎だった。
「こないだの収支表は見せたやろ」
結局、彼が思いついたのはいつもの『財政事情』である。
我ながら一本調子だと思うが、根無し草の身内を説得するのは
一番効果的であると言う事もこれまでの経験で会得していた。
「一番の飲み食いは大層やったからな」
先日、洋駿で兵站業務を受け持つ恵有から
大零山襲撃に拠って得た収入と支出の中間決算が送られてきた。
『過激』とまで評された火事泥棒の成果は諸々の必要経費に加えて、
修一郎自身も含めた似非有徳人達の御大尽振りでほぼ相殺されてしまった。
中でも姫島から名の知れた料理人や文化人を呼び立てた
黒一天一番の遊興費は他の二番を凌駕するものであった。
「しかし軍団長殿、昨今陣中では貴方の事を何とお呼びか御承知ですか?」
番を預かる責任を考えれば無理に我を言い通せないのは理性が承知しても、
尚戦いを望む欲望が諦め切れない黒一天一番頭は作戦を変更してきた。
「ああ。『臆病な成金殿』だろ」
別に気にする風でもなく自身の悪評を口にする。
「その評判が軍の統制に係るとはお考え頂けぬので」
平左の率いる一番は平騎士が多いのでその分突き上げも激しいのだろう。
配下の不満が乗り移って詰め寄る姿は
あたかも士大夫達の不満を一身に映し出している様に感じられる。
「・・・そないに戦がしたいんやったらやらせてもええぞ」
「!」
その言葉に驚いたのは一番頭よりも寧ろ他の番頭の方達だった。
実の所、二番頭と三番頭が陳情に出向くのは
長期間の対陣に拠る士気の低下を防ぐ行動であって本心ではない。
先程の修一郎の発言にも出て来たが戦死者の補充を行った為に
実戦能力が低下している黒一天は現段階での実戦は避けたい所なのである。
「但し内容は一番の大物見(威力偵察)による誘引やぞ」
「・・・・!」
「今日で何日目になると思っとるんや」
確かに攻囲から一ヶ月が過ぎて相手もそろそろ堅守の緊張感が緩む頃である。
「この戦の相手は自分達や。体内にある焦りや不安や・・・・・・悪評のな」
修一郎は遂に本心の一部を明かした。
「もうそろそろ相手さんも焦れる頃やろ。
思わぬ小競り合いが呼び水になる事もあるやろ」
「軍団長殿・・・・・」
「俺がぼけっと野戦築城の差配と知事の仕事だけしとるとでも思っとたか」
「・・・数々の非礼、失礼致しました」平左は深々と頭を下げた。
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