1974年のワールドカップはヨハン・クライフ率いるオレンジ軍団が
集団的戦術をフットボールに持ち込んだ大会として記憶されている。
『攻撃的』と形容したくなる程大胆なオフサイド・トラップ、
それまでの中盤守備の概念を打ち砕くオールコートプレッシング、
そして前線のクリエイターを中心に奏でる魅力的且つ破壊的な攻撃力。
世間の注目を一身に集めたオランダの声望は優勝した西ドイツと
そしてオレンジ軍団を上回る得点を上げた『赤い疾風』を
遥かに凌駕するものだった。
その独特なカウンターが国際舞台に登場したのは
74年が初めてではなかった。
2年前に痛ましいテロ事件が勃発したミュンヘンオリンピックで
名ばかりのアマチュア(ステートアマ)として出場した
東欧の男達は祖国に金メダルを持ち返っている。
さらにこの大会の予選では66年の栄光から抜け出せない
母国を相手にホームで2−0の勝利を上げると
アウェーでの聖地ウェンブリーでは実に老獪な試合運びで
まんまと引き分けと勝ち点1を得る事に成功、
イングランドの栄光を引き剥がしてしまう。
(因みにイングランドは次の大会も地区予選で敗退している)
そんな輝かしい実績を持つポーランドだったが大会前の評判は意外に低く、
直前のオッズでは16チーム中9番目に過ぎなかった。
(当時は16チームだけしか参加出来なかった)
この中には明らかなアウトサイダーであるオーストラリアや
ハイチも含まれていたので、実際の評価は更に低かったのは想像に難くない。
『オリンピックゴールドメダリストなのにどうして』と
『世界最大のスポーツイベント』の評価の高い人々は不思議がると思うが、
『世界最高のスポーツイベント』においてはアマチュアしか集まらない
(あくまで当時の話である)
スポーツイベントの評価なんてオリンピックにさほどの関心のない
(これは今でもそうだが)
フットボールの住人達にとってはその程度の価値に過ぎないのである。
一次リーグで前回準優勝のイタリアと曲者アルゼンチンと組んだ
(当時はタンゴの国は優勝未経験だった)
アマチュアの覇者はエース・ルバンスキを失った事を発奮のバネとして
鮮やかなカウンターを世界に披露する。
表記上は4−3−3のオーソドックスなフォーメーションだったが、
実際には俊足と得点感覚を誇る右ウイングのラトと
技巧的なドリブルが売りの左ウイングのガドーハが
巧みな動きで前線で待機するシャルマッフとの濃密な連携で
2トップに変更するのを合図にキャプテンマークを巻く
中盤のデイナが状況判断力と戦術眼を活かした好配球を見せる事で
面白い様に得点と勝利を稼ぎ出していく。
初戦のアルゼンチン戦をラトの俊足を生かして3−2で競り勝つと
次のハイチ戦はシャルマッフのハットトリックで7−0と圧勝、
早々に4チーム×2の2次リーグ進出を決める。
そしてオランダ−ブラジル戦に匹敵するハイライトとなったイタリア戦。
4年前の成功の源になったマンマークとメンバーに固執するアズーリに対して
巧みなポジションチェンジから生み出されたオープンスペースを活用、
空白地帯となった右サイドからのクロスから生まれた2得点で逃げ切りに成功、
イタリアに1次リーグ敗退の屈辱を味合わせる。
ここまでなら力量のあるチームなら決して難しくないかも知れない。
だがポーランドはそれだけのチームではなかった。
1次リーグでオランダとスコアレスドローの好勝負を演じたスウェーデン、
伝説の左ウイング・ジャイッチを擁するユーゴスラビア、
そして西ドイツが揃った強敵揃いのB組では
劣勢を強いられながらも前半のリードを守り、
相手のミスから決勝点をもぎ取る『強者』と呼ぶに相応しい戦い振りで
グループリーグ最終戦、決勝戦進出の権利を賭けて開催国と戦う。
この試合、豪雨によった水溜りの悪コンディションと言うカウンターを
武器とするチームに取っては最悪なコンディションにも関らず
結果的に世界チャンピオンになった伝統国相手に奮戦、
0−1のスコアが示す好勝負を演じる。
そしてこれまでの活躍がフロックでなかったことは
決勝戦の前日に行われた3位決定戦で証明される。
オレンジ・ショックが抜け切れないセレソン相手とは言え、
ラトが得点王を決定付ける7点目を上げて
勝利と栄光を掌中に収めた事で彼等の名声は不動となった。
因みに彼等の活躍には続きがあり、
この次の年に行われた欧州選手権の予選でオランダと同じ組になった
ポーランドはホームとは言え4−1の大勝でその健在振りをアピール、
(オランダ側のゴールは4失点後の焼け石に水的な得点だった)
『ゾーンプレス』を破るスピード豊かなドリブルとカウンターは
3年後のアルゼンチンの栄光へと受け継がれていく。
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