宣河の支流の一つである恒根川は
流れの早い河川として知られているが全く渡河が不可能と言う訳でもなく、
卓越した乗馬の技量と良く『訓致』された馬が呼吸を合わせれば、
『馬筏』の隊形を組む事も可能であった。
修一郎達黒一天に取って幸いだったのは人馬一体の技量を持つ
平左が士大夫の人脈を活かして乗馬の素質のある
食い詰めた平騎士の次男・三男坊を掻き集め徹底的な訓練を施していた結果、
極小の有資格者に名を連ねていた事だろう。
騎馬隊を一列に並べ、馬腹の右側に身体を預けて
暗く揺れる水面を見つめながら『日々平穏無事』としか
報告書に書かない監軍使は高ぶる神経を懸命に落ち着かせていた。
今回、彼等に与えられた任務は本陣と中州の連絡、
三田衆が放つであろう細作の始末、
そして予備兵力として決定的な場面での戦線参加であった。
この項目の内、前二つは問題無い。
『玄武隊』の中では殆ど唯一の騎乗経験者は徴兵に応じて以来、
(この時代、騎乗は騎士しか許されなかった)
一貫として『遊軍』的な役割を担い、
足軽と鉄砲兵が主軸の玄武隊の側面援護を担当していた。
従ってこの分野に関しては平左は自信を持っていたし、
配下の者共も己の役割を理解していた。
問題は最後の項目である。
これまでは修一郎の指図に従って戦場に踊り出ていたが、
今度の作戦範囲を考えると自分の判断で突入の機会を探らねばならない。
『一撃必殺』を旨とする騎兵投入に失敗は許されない。
しかも今回は俊足を活かした逃げ場もない。
「上手く拍子を合わさんとな」
渡河を終えて、集結しつつある配下の様子を見つめながら平左は独語する。
取り合えず数だけは集められる他の二番と違い、
少数精鋭である自分が差配する『番』は補充が難しい。
僅かな損失であっても全体の行動が大きく制限されるのである。
そんな彼の眼の端に光が入る。
「閃光火矢か」
それは先行隊が大零山側の細作を発見した合図だった。
「ぐぷぷっ」
人夫達と共に泥に塗れながら陣頭指揮を取っていた
弥四郎は『危険』を意味する光を見ながらも緊張は表に出さない。
「ふん、折角夜這いを楽しんでいる所を邪魔しおって」
溢れ出る精力を全身から発しながら二番付きの使番に迎撃の指示を出す。
「燧石は当初の配置通りに。火縄は『伍』となって思い思いに馳走せよ」
「はっ」
彼の近くに控えていた数人の男達が一斉に散らばっていく。
「さてここからが正念場でさ」
一度や二度の及び腰な襲撃なら撃退できる。
しかし向こうも馬鹿でないからその内、
本格的な砦攻略を目指して間断無き波状攻撃を仕掛けるに違いない。
そうなると元々気張った精神状態でこの地に足を踏み入れている自分達は
複数の意味での疲労が溜まり、判断力が鈍り、そして弾薬が不足する。
「そのときゃ、糞尿でも投げつけるか」
弥四郎は丸顔に猥雑な笑みを見せる。
権八と違った意味で戦が好きだったこの男は
どんなに苦境に立たされても悲観に走る事はなかった。
「ふぅん、まあまあの出足やな」
黒一天内では第二国語化している丹州弁で呟いた
修一郎の傍で恵有は甚助経由の情報を纏める。
「子の刻半(午前1時)現在、砦用の物資は8割方運搬が終了、
築砦作業は全体で4割程度との事です」
「鉄砲陣地の方は?」
「9割方完成との由。『伍』の方も全員が移動完了との事です」
「ほな、あとは弥四郎の手捌き次第やな。
あいつにとって戦は女子・飯・酒と同じやからな」
早口になる所を懸命に抑えつつ、
丹州弁で自分を含めた本陣の緊張をほぐす。
「ま、あいつであかなんだら俺がやっても同じや」
動物的な勘で勝敗を左右するツボを探り当てる
弥四郎の戦術指揮能力は自分よりも上である。
女性問題を含めて度々問題を起こすにせよ、
その異常な能力は根っからの武人ではない
修一郎の作戦構想には必要不可欠な存在だった。
不精髭に黒ずんだ顔色の面構えの男達が戦利品でもある
不揃いの鎧兜を纏いながら侵入者達の砦へと向かっていく。
「ふん、関西の捨て犬共が調子に乗りくさってからに」
「ここいらで儂等の実力を見せとかんとあいつ等、
間違って自惚れるからのぅ」
既に火矢によって発見されているのは承知しているので
草むらに身を隠しつつ
獲物を狙う野獣が如き血走った眼で互いの昂奮を制御しあう。
へらず口はともかく、ここしばらくの遭遇戦でことごとく遅れを取る事で、
樹州に名を馳せた『大零山・三田衆』の悪名は地に堕ち、
実の所、小室からの密かな援助がなければ存亡の危機に立たされていた。
それだけに今回が名誉挽回の最後の機会である事は皆が承知していた。
「あんな所に砦を構えるたぁ、あの利口ぶった胥吏も大した事ねぇべ」
「んだんだ。俺達の実力を一丁見せてやんべ」
そんな彼等のおしゃべりは側頭部を正確に打ち抜いた
一発の銃弾と共に終止符が打たれた。
「次」
何の抑揚の無い声が発せられると3人一組の火縄『銃士』達は位置を変える。
先程、戦果を上げた最前列の銃士は後備に下がると
既に射撃準備を整えた二列目は足場を確認して銃架を固定、狙いを定める。
補助の協力を得て弾込めを終えた三列目はお歯黒で煮詰め、
雨樋を付けて雨天でも使用できる木綿の火縄に点火して目標を確認する。
未熟な燧石の連中とは違い、
経験豊富な彼等は必要最小限の指示で流れる様な動作でこなす。
そして色鮮やかな装飾を施した銃を持つ伍長は
戦況全体を確認しながら狙撃しやすい位置を探し当てる。
−次はあそこか−
右前方に程好い地形を発見した男の耳に
射撃音が響き渡り白煙が上がるが戦果の確認はしない。
『玄武隊』創設以来、難儀な敗戦処理を繰り返す事で腕を磨き上げた
彼等に取ってこの程度の相手に仕留め損ねる事は考えられない。
「移動」
その一言で他の四人は一斉にこの場から離れる準備を始めた。
「啓太郎、作兵衛、一左、影四、彦次郎、半六、権造、喜伍、皆よくやる」
弥四郎は眼前で尻を蹴飛ばされながら
陣地へ向かう燧石『兵』を見ながら今更の様に思う。
五年に渡り生死を共にした古参の兵達は必要最小限の指示で意図を読み取る。
『おびき寄せよ』
彼が『伍』の長達に伝えたのはこの一言だけである。
それを彼等は
『弾幕の張れる陣地の前まで三田衆の狙撃を繰り返して引き込め』
と解釈した。
そして八人の伍長達はあたかも親しげな会話を交わすがの如く、
綿密な連携で三田衆に的を絞らせずに
当初の隊列をまばらにした状態でここまで引き寄せている。
「では始めるだわさ」
馬防柵の内側では緊張を隠せない男達の顔が多く見られた。
無理もないな、と弥四郎は思う。
『燧石』を持つ兵達は大半が『黒一天』結成時の兵である。
いくら射撃の素養があり、既にいくつかの遭遇戦を経験していても
死地に飛び込んだ緊張感は並大抵では無い筈だ。
「ま、『玄武』はおいてけぼりがしょっちゅうだったからな」
その点、全滅を覚悟しなれければならない尻払いを
数多く経験してきた弥四郎達は一旦戦が始まると肝が据わる。
「何、どの道超えねばならん坂じゃから、しくじれば死ぬだけだわさ」
生命の投げ売りの様な戦場を見慣れている
肥満漢は自身の生死でさえ冷静な視点で見ていた。
燧石銃は火縄銃に比べると不正確で射撃速度が遅いのだが、
火縄(黒一天ではお歯黒で煮た木綿を使用しているのだが)の様に
常に着火する必要がないので鉄砲兵達が肩を並べても暴発の危険は少ない。
黒一天では複雑だが癖を掴むと手足の様に働く火縄銃は手練の銃士に使用、
逆に簡単且つ合理的な構造である燧石は経験の足りない
新兵達に取らせて集団射撃に使用させていた。
そして今、後者の効果が弥四郎の「放砲!」の掛け声と共に立証される。
耳をつんざく様な凄まじい轟音と
容易に視界が回復しない程の硝煙が舞った後には
原型を止めない程に蜂の巣にされた三田衆の死体が
ようやく白み始めた東の明かりに照らされていた。
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