片脇の片田舎から出てきた少年にとって、
鎧を装備しない軍勢と言う代物は想像の外だった。
童の頃より美しい白銀を纏った由緒正しき騎士達が
礼節を弁えた上で己の技量を誇示する。
そんな図柄を叩き込まれた身に寸鉄を帯びずに、
黒い戦服と陣羽織だけで戦場に出向くのは正気だとは思えなかった。
ましてそんな『ふざけた人達』の前に、
自分の家が屈服を余儀なくされているのが事実だとは信じたくなかった。
「地図」
貧相且つ貧弱な駄馬に騎乗している猫背が顔を見ずに左手を差し出す。
「はいっ」
少年は慌てて荷袋から所望された用紙を取り出す。
「これちゃうで。『一』っちゅう番号が振ってる奴や」
「すっ、すみません」
好悪の念はともかく、相手は自分を含めた一族の生殺与奪の権を握っている。
不興を買えば如何なる仕打ちが待ち受けているか、
十代半ばの頭脳と想像力では考えるだに恐ろしい。
「こ、こ、この地図で、で、でしょうか」
緊張で声の震えが抑えられない。
「うん、これや」
目前の用件に没頭している黒一天軍団長は、
少年が受けている心理的負担など気にも止めない。
「この分やったらやっぱり囲っといてから野面の戦かなぁ」
問い合わせの主語が省かれているのは、
周りにいる大人が擂り鉢しかいない為である。
「はっ、群青鮫が思ったより鈍い故に」
「うん。まぁ七千騎っちゅう虚仮脅しの効果はあった訳やな」
七千と言うのはあくまで騎馬武者だけの数で、
彼等につく雑兵・弓兵(鉄砲兵を雇う発想はない)・従者等は含まれず、
彼等を含めると三万から四万近い大軍勢となる。
「両管家とも必死でしょうな」
いくら戦場の範囲内でしか頭が回らないとは言え、
万単位の軍勢に必要な費用の捻出が難しい事ぐらいは理解出来る。
「あいつ等の金だけやったら高見の見物やねんけどな」
何せ『借金』やのうて『奉納金』扱いやもんなあ。
たまらんわ。
旧い時間に属する少年が見守る新時代の軍隊に対して、
新しい時間を覗いた武人が思い抱く感情は複雑だった。
全く違う考えの前に味わった屈辱、
しかし軟禁と言うには緩い環境で見聞した思想は蒙を啓いた。
命中率ではなく、破壊力と物量。
個人では無く、集団の動き。
そして指示が上下に行き渡る工夫。
長谷川に戻った後の十兵衛は西本家の範疇内で改変に踏み切った。
「虚しいの」
早目の糸桜が目に染みる中、一定の成果を試す再戦にも関らず、
胸中に招来する筈の期待感は正反対の悪感情に拠って流される。
「さればこそ、軍旗持ち騎士の名誉を見せねばなりませぬ」
先程から長谷川家の監軍使に熱弁と唾を吐き出している
洟垂れ青年は名分上は主家の娘婿だった。
「幸四郎殿、落ち着かれよ」
十兵衛は当時の軍旗持ち騎士の習風に沿って
祖父の通称を名乗る若者を懸命に嗜める。
「此度の我等はあくまで脇役ですぞ。
僭上者達(西管家)の成敗は長谷川が差配する東管家が関中で果たせば、
此方はゆるりと渋味を抜く事こそが肝要ですぞ」
最近、武張った主家にも流行り出した雅道の一部分の香りが漂う口からは、
しかし微妙な力関係に対する配慮に拠る腰砕けの諫言となってしまう。
歯がゆいの。はっきりと事実が言えたらの
「十兵衛殿は些か猛気が抜かれたと見える」
微かな嘲笑の成分は若君の補佐しているのではなく、
助長させている同世代の鎧武者だった。
「ここで成り上がりの土民達(黒一天)を叩いて、
我等の支配は勢州から大零山以西にも及べば、
長谷川様御家中にも益となりまする」
勝てばその通りだが負ければあんた達は文無しだぞ!
怒声は辛うじて大きく上下した喉が抑え込む。
「我等が武勇を以ってすればあの胥吏の細腕など一捻りでござるよ」
鍛え上げられた上腕を誇示する仕草は、
長谷川家監軍使に猛烈な怒気を覚えさせた。
こいつ等、今まで何を見ていた。
「吉ぃー、若左ぁー、伍兵衛ぇー」
暖かい春の日差しが愛でる勢州の野原を
得意技の土木工事に拠る土煙で台無しとした
黒一天軍団長が豪族からの人質を呼び集める。
「弥四郎んとこまで出向いて石火矢の援護出来るかって聞いといてくれや」
「はい」
「は・・・はっ!」
「承知しました!」
それぞれの個性が滲み出た返答が飛び出すと、
勢い良く最も人手の動きが活発な地点へと走り出す。
「元気ええの」
ま、まだまだ子供やさかいに賑やかな所だけしか見えへんやろけどな。
「二番頭殿はどちらでございますかぁー!」
声変わりを経たばかりの幼ない低音が三重奏となっている。
尤も補給路を遮断する堅固な野戦陣地を作り上げようと、
甲高い木槌と野太い掛け声が活発な交響曲となっている
この場所では自分達が出した声さえ殆ど聞こえない状態だった。
「おんし等、何をしちょう」
鉄砲の射撃位置を確認していた『伍』の一人が
あどけなさそうな少年達に声を掛ける。
「頭ぁじゃったら、ほれ、あそこじゃ」
熟練の射手が指差す方向には欲望の塊が何やら指図をしていた。
「余り、直截に無理難題を伝えるんじねえっぺ。
頭ぁは気が立ってるけぇの」
「は、はい」
取り敢えずの返答は含み笑いの意味を理解出来ない証だった。
「無茶でござりまするって言うとけ」
弥四郎は無愛想な面に不似合いで、
且つ内心の苛立ちを隠す丁寧語で命令を拒否した。
「で、ですが軍団長殿が・・・・」
普段の陽気さが欠片も無い様子に怯えながらも、
自発的に人質となった大柄な少年が言の葉を連ねる。
「人も弾薬も足らんわい。木材の障壁で御辛抱の程をって言うとけや」
これが将来の幹部教育で無ければとっくに罵声を浴びせるわさ。
だけど、儂に歯向かうなんざ少しは見込みはありそうじゃの。
まだ冬の名残りが感じられる夜の澄んだ空気は
十兵衛の苦い酔いを醒まさせる。
物見もろくに派遣せずに夜の『軍議』ばかりを重視する空気は
希望と虚勢だけが支配する状況判断へと繋がって
『冷静』の概念を地の果てに消し去っている。
明るい笑いと過去の武勇談が支配する楽しい宴会。
通常であれば心地良さを覚えるにも関らず、
不機嫌を抑える為に口髭を撫でる仕草が増えるのが自分でも理解出来た。
「阿呆か、あいつ等」
酩酊した振りを装って席を外すと苛立ちの酸味が胸から競り上がって来る。
十兵衛自身が気付く訳がないが、
自らの思いは嘗ての玄武隊隊長と同種の物だった。
「如何にして引き際を掴むかだな」
十兵衛には自らの手勢の者達の生命を預かる責任も有る。
集団戦術の前に個人の技量が飲み込まれる絵柄が容易に想像出来るとあれば、
主家に与えられた任務は二の次にせざるを得ない。
「十兵衛様、ここにおられましたか」
早春との表現が不似合いな気候にも関らず、
汗が滲み出ているのはどうやら急報らしい。
「俊太郎、どうてあった」
「黒一天は梅原から南へ約半里(2キロ)のなだらかな丘に
堅固な陣地を築き上げ、無数の松明を燃やして威圧に務めておりまする」
「やはりな」
重量を利した騎士達の突進を抑える為に勢州への睨みが効く
高所を抑えたのは妥当な選択である。
「実数は把握出来たか」
「黒一天自体は約三千。
洋駿からの報告に拠れば此度の出陣は古強者が主体で、
新規の者達は守備に当っているとの由」
「黒一天自体?」
物見を纏める西本家筆頭家臣の物言いは当主の眉を顰めさせる。
「丸崎の旗印も確認されておりまする」
「ほう、これはこれは・・・・・」
他人の戦にしゅゃしゃり出るとは物好きな輩である。
だが十兵衛には直接の指揮が出来ない軍勢の帯同に拠って生じる
波乱要因を許すあの猫背の青年の境遇が理解出来なかった。
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