その都市には過去の栄光と現在の退廃が鮮やかな調和しており、
訪れるものに寂寥の感を覚えさせるに充分なものだった。
「おぉ」
十兵衛が感動に打ち震えるのを横目に見ながら
修一郎は皮肉な目で街並みを観察している。
−確かに良く整備されていて
さすがに宗洋の都なんやけど、所々不合理な繋ぎ目があるな−
確かに整然とした道筋が急に曲がりくねったり、
不自然な位置で曲がり角に出くわす所が見受けられる。
「さすがに国王陛下の御座所にござりますれば、
何と言うか、その気品が漂っておりますなぁ」
「まぁ、そうとも言えますな」
交渉成立に向けての介添え人の機嫌を背ける訳にはいかない。
「では、参りますか」
修一郎の気持ちを読んだ護衛頭が声をかける。
猫背の青年とはほぼ同世代、しかしその肉体は権八差配の下で鍛え上げられ
個人の戦闘能力では黒一天屈指と目されている。
「ああ」
修一郎は頷いた。
「まずは和馬殿のところやな。地図は持ってきてるか」
「はっ」
博方で手に入れた『最新版』の絵図を片手に目的先へと向かう。
「三年前のやけど結構使えるなぁ」
「ここの所は穏やかだった様で」
半世紀前の後継ぎ問題で灰燼に帰した洛安はその後も三管家を始めとした
関中諸藩の有力者達の生臭い政争と市街戦の場となった。
「ま、北管家が潰れて火種が一つ消えたから静かなんやろ」
取り敢えずの雨露を凌げる建物を見ながら感想を述べる。
位置的に介入しやすいかの名家は足元の業火に焼かれてしまい、
嘗ての領地は『極楽』を求める炎と新興軍閥の拡大の野心を軸とした
激しい激情が渦巻いている。
「にしても活気がいまいちやな」
道に出歩く人間の数は洋駿は勿論、姫島さえも凌駕している。
だがこの街が醸し出す空気には『活気』とか『野心』とか『創造』と言った
進歩的な物は感じ取れない。
「諦念と惰性、か」
それは宗洋全体を覆う空気でもあった。
「確かここやな」
修一郎が指差したのは二流以上一流未満と言った風情のある料亭だった。
「はっ、その様です」
護衛頭が黄海社中頭領が寄越した封書に記された文字を確認する。
「何ぼになるんやろうな」
洋駿とこの一等地に建てた紅屋経営のあそこより値が張るんやろうか?
思案気な修一郎の横顔を見つめてた群青鮫の客人が促す。
「まずは入ってみないと先が進みませんぞ」
「ああ、そうだった」
門を潜り、姓名と用件を告げると女中が奥へと通す。
幾度かの曲がり角を経ながら通された一室は
さすがに都の洒落た雰囲気が色濃く出ていた。
「十兵衛殿には、介添人の方を宜しくお願い致す」
不慣れな場面にさすがに修一郎も緊張している。
「こちらこそよしなに」
十兵衛も頭を下げる。
彼とて元老院議員相手の介添人など初めての経験であり、
思いもよらぬ不作法で話を潰してしまう懸念もある。
そうであれば自裁ものだ。
我々から見れば敵対勢力の交渉事を故意に粗相をする懸念もあるのだが、
この時代、こういった類の失敗は士大夫としての面子がかかっており、
万が一の事態は『家門の恥』であり、
士大夫社会からの抹殺を意味してていた。
「それにしても遅うござるな」
既に半刻近い刻限が経過しており、四月上旬の太陽は傾き始めている。
「まさか土壇場で逃げられたのか、な」
「だとすれば小生に咎が?」
「いやいや、小生達如き田舎者にして郷士輩の袖にすがるのは
議員としての誇りが許さなかったのでごさろうよ」
どうやらこの両人、会話の感覚は次第と合って来た様である。
そんな二人の聴覚に慌しい足音が刺激する。
「どうした!!騒々しいぞ」
廊下に控える護衛頭の緊張した怒声が響き渡る。
「失礼致しました。只今、和馬様より火急の書状が参っております」
「通せ」
猫背の青年が書状に目を通す。
「大魚は釣り上げられる前に黄泉の国に旅だった様でござる」
何とも言えない苦笑が特徴のない容貌に浮かんでいた。
「ま、ま、まずは一献」
猫背の青年が失意の男に酒を注ぐ。
「いや、忝い」
長髪を後で纏めている男の顔には通常の覇気はない。
「まぁあれですな。とりあえずの繋ぎは確保している訳ですから、
次の獲物に期待しましょうや」
本来、部外者である筈の士大夫も務めて陽気に振舞う。
「小生の方でしたら問題ありませんぞ。
何せ主家の方は当分、山猿との喧嘩で忙しいでしょうからなぁ」
当初は謹厳にしていた十兵衛も黒一天独特の陽気さに当てられたらしい。
「それにしてもまさか上洛当日に頓死とは
その辺のへっぽこ劇作家でも書くのを躊躇う三文劇ですなぁ」
綺麗どころと一緒に踊りながら十兵衛は陽気に騒ぐ。
「いや、まったくその通り。どこのどいつか知らぬが頭がちと足りぬようや」
遂にお国言葉が出た修一郎も下手糞な管絃曲なんぞを弾き始める。
「派手に全額使おうか」
状況を把握した修一郎は周囲に失望の雰囲気が生まれる前に手を打った。
「しゃあない。どの道持って帰れる訳でもあらへんし」
いくら練達の護衛に守られているからといって、
戦塵が燻る関中を黄白を持って少数で出歩くなぞ、
鴨が葱をしょって歩く様なものである。
こうして本来、議員への様々な心付けの為に用意した金銭は
あっという間に遊興費へと変貌した。
「いや、此度の不手際は全て小生の落ち度でごさるよ」
和馬はこの日何度目かの土下座をする。
「ははっ」
酔眼でふらふらと立ち上がった猫背の青年は
社中創始以来の失態を演じた頭領に近付く。
「ほんまにそうお思いか?」
笑っていない眼で問い合わせる。
「如何にも」
「ほな、踊ろう」
「?!」
「ま、戦の方も何時も勝てる訳やあらへん。負ける事もありまっせ。
経験上、そんな時ゃ派手にから騒ぎして失敗を忘れるに限りまっせ」
修一郎は年輪を感じさせる笑みを見せる。
「上の者はいつでも陽気な活気を持っとかな、下の者はついてこれへせん」
自分が遵守しているかどうかは別として長としての心構えを説く。
「さ、左様ですな」
「と、言う事で踊ろう。ほら太鼓持ち。派手な音楽鳴らさんかい」
こうして夜の饗宴は深夜まで延々と続いた。
草木も眠る丑三つ時に起きている人種とは
才能の無さを不調と言い張る物書きの類ぐらいなのだが、
ここにはその例外がいた。
別に鼾の大合唱に睡眠が妨げられる訳ではない。
そんな物は戦場で何度も体験済みである。
窓辺の横に胡座を掻いている修一郎の頭に眠気は存在しない。
若干の酒気は寧ろその回転を早めている。
特徴のない顔立ちには微かに憂悶の色彩が滲んでいた。
さて、これからどないしよ。
細い糸を手繰り寄せて引き当てた魚は釣り上げる前に死んでしもうた。
何でも明日が本葬やそうやからそん時、白々しく挨拶に出向くか?
でもなんて切り出したもんかなぁ。
そんな事考えている修一郎の眼に人影が写った。
暗闇でよく判らないがどうやらその人物は追われているらしい。
時折、立ち止まりながら後を振り返っている。
にしてもとろいな。あんなんじゃすぐに追いつかれるで。
案の定、燈篭を掲げた追っ手がやってきた。
うん、えらい長い着物を重ね着してるんやなぁ。
あれじゃよう逃げられんわ。
そんな事を考えている内に追っ手は獲物を囲い始めた。
しかし、手を出す素振りはない。
うん、何や。話かけているみちいやな。説得か?
風向きの関係で声は聞こえんが囲っている方の
長らしき男が頭を下げ取るな。
ひょっとして何処かの馬鹿息子を連れ戻そうとする『爺』なのか。
御苦労なこっちゃ。
二階からのんびりと見物していた修一郎の耳に別の足音が聞こえる。
「!」
今度は戦場で培った第六感が危険を告げる。
「権八・・・・いや角冶!起きとるか!眼ぇ覚ませ!」
黒一天群団長は護衛頭の名前を叫ぶ。
「これに」
さすがに権八推薦の手練は酒宴でも付き合い以上の酒は嗜まない。
すぐに数名の配下を連れて修一郎の側に男くさい顔を近付ける。
「あいつを助けたれ。追っ手は追い払うだけでええ」
眼前では追っ手同士の殺し合いが始まっているが立ち振る舞いから
後の方の一方的な展開に推移するのは目に見えている。
「承知」
角冶は音もなく立ち上がった。
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