伝統と欲望と逼迫した財政事情が渾然一体となった言葉の数々が
高幡家お抱え公証人の口から生産されている。
心の琴線ではなく、理性に訴える歌謡曲は
国王家とも互角に遣り合った名曲ではあるが
黄海社中頭領から主導権を奪うには到らない。
「そうじゃけんど、運搬には手間暇かかるもんですき、
ここはもうちぃーと待つがよかろうぜよ」
次第と冬の気配を感じ始めた朝の空気を楽しむかの様に
悠然とした和馬の頬には余裕の笑みが浮かんでいる。
もう少しじゃな、尻尾を出すのは
そんな心の声を感知した公証人は不快な表情を隠し切れなくなる。
「そうは申されるが、既に宣河の水運も旧に復した以上は
すみやかな運搬を心がけるべきでござろう」
樹州知事の代理人とは言え、
卑しい商人風情との交渉に対等の立場で臨まなければならない屈辱感と
劣勢を余儀なくされる展開に対する焦慮の二重奏は
遂に『本音』と言う名の不協和音を奏でてしまった。
「これ以上は座の方が待ってくれぬ」
遂に能面をかなぐり捨てた素の面構えには
瀬戸際を歩く者のみが流す冷や汗が滲み出ている。
「ほう、座の方々でござるか」
茶を注ぐ機会を逸しているが為に舌に優しくない茶を飲み干しながら、
和馬は如何にも初耳と言った風の驚いた表情を作る。
−ふん、やはりそれか−
新たな商機の火花が飛び散った事を感じた総髪の大男は提案する。
「そがいに高幡様がお困りの様でしたら、
儂等が差し迫った分を建て替えると言うのはどうじゃろう。
いやいや、向こうには儂の方がきちんと申し開いておくきに
なぁーんも心配せずともええですきに」
「・・・・・如何程でごさろう」
自身の料金が掛かっている公証人はこの申し出に飛び付かざるを得ない。
「必要なだけ。そう・・・・六割五分でどうじゃろう」
「七割は欲しいのだが」
「では間を取って六割七分五厘、いや八分でどうじゃろう」
「まあ宜しかろう。では早急にお頼み申す」
「心得た」
和馬は七分の成功報酬の使い道に頭を廻らせていた。
歴史と伝統の重みを感じさせる街並みというのは
その一方で迸る活気を相容れられないのは厳然たる事実である。
黄海社中頭領の眼に移る老舗の米問屋にも
既得権益に甘んじる風が全体から滲み出ている。
「ええ鴨じゃきに」
護衛と祐筆を一人ずつ伴っている和馬は意図的に不敵な表情を作って、
洛安屈指の大店の暖簾を潜った。
「これはこれは、遠い所から御苦労はんです」
主人が不在とか言う事で代わって応対に出た大番頭は
洛安独特のはんなりとした訛りで『河南?どこそれ』と言った
田舎者に対する侮蔑を微かに表す。
「いやいや、こちらこそ突然のお邪魔に丁寧にして頂きまして」
障子の外から様子を窺っている主人の眼を意識していた
和馬は感知しない振りをして丁重に礼を返す。
「早速ではございますが、高幡様の御意向を申し上げても宜しいかな」
洛安相手の交渉ではんなりとした話に持っていかれずに
さっさと本題に入る事が肝要なのはこれまで商談でも経験済みである。
「どうぞ、とうぞ。我々もその手の話は嫌いではござりませぬ故に」
大番頭は下がっている目尻の奥の光を隠し切れなかった。
こいつ、やりよる。
半刻程の商談は互いに問題の本質を把握している事が好結果に繋がった。
回収の難しさが懸念されていた金銭に目処がつけた事。
高利の一部を手数料として受け取れる事。
全くの初対面同士としては満足すべき合意事項だろう。
「噂通り、いやそれ以上やな」
穏やかな雰囲気と隙の無さが同居している大物が観察の結果を口にする。
「へえ、若いのに緩急を心得たええ商人(あきんど)はんですなあ」
「うむ。後ろの黒一天がやり様を一任しているとは言え、
あれだけ思い切った絵画を描けるとは凡手の為す所やないな」
「どうされます?」
「当面は付き合ってもええやろ。今の所は儂等の邪魔にはならん」
「へえ」
「・・・ま、少しは面白くなりよるのかな」
富も名声を充分以上に得た分限者に取っては刺激こそが最も必要だった。
空に晩秋と初冬の色彩が交じり合う様になった頃、
携帯用の机に頬杖をつきながら一人で物思いに沈んでいた。
この日の朝方に受け取った二通の書状には
補佐役が内部の諍いに関する私見を、
提携先は上納に目処が終結しつつある事を伝えている。
「これから先・・・・か」
兵数的には少数の黒一天だが交通・治安・軍事の要衝を
効率良く抑えている有利な状況は日を追うごとに鮮明となっている。
この事実は河州に盤踞する豪族達の動向にもはっきりと現れ、
切羽詰った羽戸川の要請に応ずる者は皆無だった。
「今更、おやか・・・・否、西管家にくっついて行くのもなぁ」
恵有の観察通り、修一郎の心は既に西管家から離れている。
一応、自分を引き立ててくれたとは言え
その分は度重なる無心で返済したと言う気分が強い。
さらにはこの所の失政を見るにつけ
「あんなんにはついていけへんわぁ」と見限りたい気持ちになる。
「そやけど、独立っちゅうのもなぁ」
そりゃ無茶やろうと今度は理性が訴えかける。
自分の率いる勢力は傍目には勢いがある風に見えるが
実態は僻地の小勢力相手に勝ちを積み重ね。
旧勢力の盲点を衝いて小金を掠め取っているに過ぎない。
「第一、何を以って立つべきかやな」
単に『俺についてこい。ここやったら飯が食えるぞ』的な
夢の無い旗印だけでは人はついてこない。
例えば黄海社中の様な『経世済民』であったり、
緑帽教の様な『士大夫打倒』であったり、
実現可能かどうかは別として浪漫を与える物でなくてはならない。
「それ以前に俺に旗をしょって立つ資質がないからなぁ」
元胥吏は自分が英雄と呼ばれる資質に欠ける事を自覚している。
有態に言えば『大物』と評されるだけの気風に
−我々の世界で言う『カリスマ』と言う奴である−
欠けていると醒めた眼で観察していた。
「あかん、堂々巡りになる」
上に立つ者が陰気な気分を発しては全体に伝播する。
気分を変えるべく、頭を振り払った黒一天軍団長の元に
血相を変えた使い番が片膝をつく。
「も・申し上げます」
どう考えても吉報とは思えぬ知らせに
修一郎の顔は自然と引き締まった。
十月下旬と言う暦が信じられない程に冷え切った潮風が
船場に立てられた十数本の磔に縛り上げられた荒くれ達に吹き付ける。
その隆々とした体躯からは迫り来る死に対する陰鬱な恐怖を吐き出し、
目隠しと猿轡を装着させられた粗い容貌にも死神の存在を予感させる。
「では始めまする」
監軍使の立場で平左が修一郎に確認する。
「うん」
渋い表情で頷くのは刑死の場面を見守るからではない。
難儀な行き先を懸念しての事である。
『旧羽戸川船手衆の乱妨狼藉』
一週間前にもたらされた凶報は黒一天軍団長の感情を爆発させた。
「至急にひっ捕らえて処刑せえ!!」
根っからの武人でない修一郎は戦場では付き物の略奪暴行に対して
激しい嫌忌と憎悪を抱いている。
例え相手が黄海社中の骨折りで寝返った連中でも同様である。
「お待ち下さい。それでは今後は船手衆の強力が得られませんぞ」
玄武以来の古参程には上司を知悉しない豊五が
今後の河州制圧への悪影響を懸念して、いま少し穏やかな刑罰を仄めかす。
「処罰するなとは申しませぬ。ですが余りに潔癖が過ぎますと今後が・・・」
「足を引っ張るだけの味方なんぞいらんわ」
尚も怒りが収まらない修一郎が声を荒げる。
「何で俺がこないに手間暇掛け取ると思うとるねん」
武器弾薬・衣食・商売女の補給に関する書類の束を机に叩き付ける。
「黒一天がなんでに阿呆んだらな士大夫以外の評判がええと思っとるんや。
戦に勝ってるからか?
珍奇な飛び道具を使うてるからか?
それとも俺が威厳のある奴やとでも思われとるんか?」
普段は特徴の欠片もない容貌が激しい炎を吹き出している。
「理由は只一つ。略奪乱暴狼藉に走らんからや。
少なくとも掲げた項目を守ろうとするから、
後方からの連絡なり物資補給が滞りなく行われるんや」
黒一天が歴史に異彩を放つのはその軍事思想のみならず、
異常なまでに規律を守る武装集団でもあったからである。
「そやけどこれで河州は手間が掛かるんやろなぁ」
燧石絨の射撃音が刑の執行を高々と告げる中、
現実の困難を思い出して渋そうな表情を作って口中で独語する。
既に仲間の捕縛と刑死を知った荒くれ達は
羽戸川の元に再帰順してしまい、包囲網の一角は崩れてしまった。
「しゃあない。社中やないけど『信用第一』やしな」
修一郎は脳裏に『不利』と言う苦味の加わった
博方制圧の絵柄を再び描き始めた。
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