凄惨な宴が催された翌々日、
修一郎はかねて洋駿から呼び寄せていた警務隊隊長・渡部圭三郎と
羽戸川の元・本陣の陣幕で対面していた。
勿論、間の抜けた馬顔が懐かしく感じた訳ではなく、
占領地と孤立してた久喜郡への対処策を指示する為である。
「此度は遠慮する事はない。四の五の抜かす奴は遠慮のう叩け。
ここまでやって情勢を飲み込めん奴は邪魔なだけや」
この段階で修一郎の支配圏は方脇郡と
陥落間近の久喜郡を除く樹州全域に及び、
羽戸川勢の壊滅を聞き及んだ当地の小土豪達は
今度は有無を言わさぬ全面的な服従のみを強制されていた。
「はっ」
手短な返答は既に己の仕事を理解している証である。
「これからは『御家滅亡』への御観戦でしょうや」
この手の言い回しは修一郎の好むところである。
「そや。あっちも郷士風情に顎で使われたとあっては
御先祖様に申し訳が立たんやろ。跡形ものう滅ぼすのが礼儀と言うもんや」
修一郎は不要な殺戮を好まないが必要と感じた殺戮を回避する男でもない。
しかし彼も人間である以上、時には感情を優先させる事もある。
「・・・あ奴は雪香を口汚い言の葉にのせおった。
それだけで万死に値する。
士大夫としての礼も尽くさずに雑兵同様に踏み潰す」
不意に激烈な殺意がその目に浮かび上がる。
筆頭軍使が暴発を懸念してひた隠しにした情報は
昨日、唐突に細作の一次情報を点検した修一郎の目に止まってしまった。
「・・・・職分の他なれどあえて諫言の許可を願いまする」
憂慮の色を浮かべた警務隊隊長が正面から無表情な面を見据える。
「奥方様を雑言した信基に関しましては何も申しませぬが、
今後の仕置き(政治)を考慮され、
他の一族の者共には穏当な御配慮を願いまする」
決然と言い放つ圭三郎に修一郎の眼光も和らぐ。
「そうせんと和馬殿に旋回の仕事を請け負いかねぬと釘を刺された」
「それでは小生はいらぬ差し出口を叩いた事に」
「いや、皆が念を押したと解釈しておく」
「それはそれは」
二人の笑い声が陣幕内部で響いた。
宗洋島の内陸部で育った猫背の青年は縁のない
制海権に関する知識が皆無だった訳ではない。
現存する資料でも洋駿に着いて間もない頃、
西管家への報告書に『黄海は長瀬が縄張りにて彼の海域は朱闘犬の随意也』
と基本的な概念を理解している事を立証している。
しかしそれはあくまで『理解』の範疇内に止まり、
その効用と恐ろしさを把握しているとは言い難がった。
でなければ手堅い準備を整える事を重視する修一郎が
何等の手立てを講じず、安知久の第二幕で苦戦する様な事もなかっただろう。
「修一郎殿、どうでござる。海とは実に爽快では・・・なさそうじゃの」
潮風の心地良さを満喫している和馬が振り向いた先には
普段の無表情な面構えに『船酔い』と言う苦悶の表情が浮かび上がり、
先程から胃の物を逆流させている修一郎がいた。
「あー、まぁそれも一種の『通過儀礼』でござるよ」
さすがに総髪を纏めた黄海社中頭領もばつが悪そうである。
「い、いや気になされ・・・・・・うっうぇ・・・・
でもよ・・よろしい。じゅ・充分に・・・うぉ・・・あ・・・・
しつれ・・・・うぐぅ・・・・・」
どう見ても快適には見えない船旅は修一郎だけではない。
元々陸上の一部隊だった黒一天の者共に船旅の経験者が多い訳もなく、
当然『船酔い』の免疫が出来ている者も少ない。
一刻程を経過して船着場に辿り付いた時には
口の周りに謳吐物の名残をこびりつかせて幽鬼の足取りで下船する者が続出、
この日は予定を変更して当地での宿泊を余儀なくされた。
「世の中、何が幸いするか解らんの」
気分を害する不断の揺れがない陸上での休養を経た修一郎の手元には
安堂の牽制を任せている三番頭のからの報告書が届けられている。
「先方が船酔い者続出の為にこの地に止まったのを知れば
威嚇と受け取った自らの惰弱振りに憤激するでしょうな」
皮肉な笑みを浮かべるのは少数派であった豊五である。
黒一天が羽戸川の手勢に苦しみながらも勝利した事を知った当初は
『死に花咲かすべし』と決戦の闘志に燃え立った安堂勢だったが、
期日が開いた事が却って雑兵達の不安感を煽る結果となり逃亡者が続出した。
現在では最早、本陣となる屋敷を守る人数にも事欠く有様であり、
三番と一番の合勢は何の障害もなく兵を進められるとの事であった。
「瓢箪から駒、か」
此度の戦役の発端もそうだったが結末をそうである事に
修一郎は何等かの因果律を感じずにはいられなかった。
差し引き一日の短縮に繋がった裏口侵入は
安堂との戦いの内容を『止めを刺す戦』から
『締めの戦』に変化させていた。
永きに渡って方脇郡を支配していた安藤家の屋敷は
嘗ては驕慢な笑い声と古き良き時代的な幸福に包まれていたが、
しかし現在は無血で彼等の本拠地に乗り込んだ新時代の軍隊が
十重二重と囲い込んで安堂一族の滅亡を促している。
「ではとっとと片付けるか」
充満する勝利への欲望が修一郎の右手を振り下ろさせる。
その刹那、平左が馬の嘶きと共に機動力を活かし、
弥四郎のが一斉射撃の轟音を響かせ、
そして権八の戦場声が黒一天全体の士気を高める。
彼等が奏でる戦場音楽は勝者に余裕を敗者に絶望を与え、
その空気は建物の奥に潜む一族の部屋にまで染み渡る。
「母上、大丈夫ですよね。きっと勝ちますよね」
生まれた瞬間から特権を享受していた生意気な幼児は
こう言う時だけ愛らしい素顔を見せる。
「ええ、きっとお父様達が下賎の者共を追い払うでしょう。
心静かに戦勝をお祈りしましょう」
普段は信心の欠片も見せない十字教の宗旨に則った祈りを捧げる夫人だが、
それが一時の気休めに過ぎないのは本人も自覚している。
「もしもの時は乱れてはなりませぬぞ」
士大夫としての心構えを息子に唱える様は覚悟を決めているかの様である。
「申し上げます」
三ヶ所程の弾痕をあしらえた鎧と戦塵を浴びた使い番が奥の部屋に現れた。
「何用じゃ」
精神と肉体両面の疲労を見えない伴侶としている使い番の知らせが
良い知らせとは思えないが一応は問い質してみる。
「御隠居様は騎士の本懐を果たされ、鮮やかなる御最後。
和田、加藤の両名も敵陣に斬り込み、安堂の意地を披露せしとの由」
安堂一族の幹部達の死は同時にその手勢が激減している証左でもある。
「して、お館様は」
予想以上の戦況の悪化に血の気が引くのを自覚する。
「はっ、未だ正門前で指揮を取っておられますが・・・・・」
「構わぬ、正直に申せ」
「既に御味方は無勢、名の有る騎士共も多数討ち取られる有様にて
最早・・・・御屋敷内に引き篭るしか手立てが・・・ございませぬ」
使い番は突っ伏せして滅亡間近で有る事を告げる。
「・・・・ようわかった。お館様には先に参る故に
心置きなく采配を振るわれよと申せ」
「・・・・・はっ」
気丈な夫人の振る舞いは御家滅亡の際には付き物の場面でもある。
「赤・赤・赤」
裏手から忍ばせた一番が放った紅蓮の炎が屋敷の外壁を囲み始めた頃、
修一郎は無表情に攻撃中止の命令を旗手に下す。
「豊五、文面は用意しとるか」
こんな所で戦場の仕来りを無視する奇抜な挙に出ても誰も賞賛しない。
「はっ」
大勢から判断してここらで自裁を促す降伏を呼び掛ける頃である。
「なら権八に代読させよ」
自分で読まないのは恰幅が良く、戦場を圧する大音声を発する
三番頭が読み上げた方が効果ありとの考えである。
「はっ」
筆頭参軍使は一礼しすると、懐中から取り出した書状を使い番に渡す。
「さて、どないな反応をしめすかな」
嫌やと言うんやったら破廉恥漢に相応しい鉢の巣にしてやるんやけどな。
「安堂信基殿に本間龍長が言上仕る!!」
最後の儀式が始まる。
「既に戦の勝敗は決したり。これ以上の取り合いは
徒な死人を出すのみにて只、万民の不幸を招くのみ。
この上は速やかに士大夫が名誉を鑑みた行動を執られるが由!!」
何の個性もない定型文の呼び掛けはいつも通りの効果を発揮する。
「あい解った。この上は安堂が一族は責を負うて自裁する故、
四半刻程の時を頂戴すれば忝し」
既に両足に銃創を負っていた当主は嘗て卑猥な会話を交わした
護衛隊長の助けを借りて返答を返す。
「承知!」
儀式を終了を告げる声が不機嫌な様を見せ始めた修一郎の耳朶に響く。
「・・・・ふん、つまらんのう」
修一郎は筆頭参軍使を省みる事無く独語する。
「遺骸を探し出して首だけでも晒そうか」
屋敷の奥まった内部から安堂の滅亡を告げる煙が巻き上がる様を
見つめる瞳には未だに雪香を侮辱された事に対する怒りを発している。
「・・・・努力はしますが困難かと」
死者を不要に貶める暴挙に参加する意志はないが、
雇われ参謀である豊五ははっきりと拒否出来ない立場である。
「冗談や、本気にしてどないする」
深みのある笑みは何とか内部に渦巻く感情を押し殺そうする証だった。
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