『少しだけ前へ』


例え監督の意に沿わぬ凡庸な試合内容であろうが、
例えGMが『微妙な数字』の均衡に悩みながらも、
例え専門誌が結果だけを簡潔に伝えたに止めたにせよ、
勝ち点3を上げた『結果』は厳然と存在する。
そしてその事実がチームに除々にではあったが確実な自信を与えつつあった。

残暑が厳しかったこの年は9月に入っても熱帯夜並の寝苦しい夜が続いた。
尤も『プロ』の世界に生きる者達に取っては気候よりも
結果如何で心地良い安眠を貪る事もあれば、
一睡も出来ない焦慮の床を過ごす事もある。
その点では水谷は暫くの間は安眠に近い状態を確保していた。
「我々なりのゲームプランが固まりつつある」と彼が言明したのは
前節のホームで『ミュートス佐賀』を1−0で、
今節のアウェーで同期の桜『湘南ミストラル』戦を2−1で逃げ切り、
初の3連勝を飾った昨日の記者会見の事である。

「低調な試合」と酷評されたフェリス戦でようやく
『勝利の方程式』らしきものが見え始めた彼等のゲームプランは
前半を『専守防衛』で凌いで後半に勝負を賭ける
弱小チームの定番的な手堅い試合運びだった。
中央に経験豊富な飯田と身体に恵まれた柳木の
ストッパーコンビが敵の攻撃を弾きせば、
守備に専念する左の由口と右の後藤の両サイドバックが脇を固める。
彼等と密接な連携を保つ石居・須田の両ボランチがチェックを行えば、
状況判断に長ける『中盤のスイーパー』矢野がバランスを保つ。
確立されつつあるチーム戦術とリアリズムに徹するプロの指揮官の元で
『落ちこぼれの寄せ集め集団』と陰口を叩かれていた連中は
次第と互いの特徴を把握し合った渋いプレーを披露し始めていた。

そして相手の集中力が切れ初めた頃を見計らって、
異能のゴールゲッター羽生を投入して勝負を仕掛ける。
典型的な『ワンタッチスコアラー』である彼を最大限に活かすべく、
両サイドに要田・茂原のドリブラーを配置して
独特の得点感覚をゴール前に専念させる。
後はマイボールを手数を掛けずに前線に供給して
残り少ない歯磨き粉を搾り出す様な
典型的な『弱者』のカウンターで勝負を決める。
実情にあった戦術はチーム内でのコンセンサスと自信を深めさせていった。


おぼろげながらもチーム戦術が見え始てもそれだけで試合には勝てない。
試合内容を分析し、対応策を考えても刻一刻と変わる状況が変わる
フットボールでは固定された戦術はじはしば敗因に変化する。
尤もそれがフットボールの醍醐味であり、摩訶不思議なところでもある。

「ピッピッピー」
120分間の激闘の終了を告げる笛が
秋風の吹き始めた『宇和市民陸競技場』に鳴り響く。
ベンチに下がっていた矢野は
チームが勝ち点1を得た事に対する安堵と
自分の不出来が招いた後悔の混じった複雑な心情で耳に入れていた。

この試合もシュバルツは『ウイニングチーム・ネバーチェンジ』の
原則通りにいつもの『後半勝負』のゲームプランで臨んだ。
しかし対戦相手の『シュトルツ大分』は今までとは違い、
きちんと彼等を分析していた。
そして彼等の出した結論は時たまトリプルボランチが
眼前の事態を対処の為にボールに寄り過ぎて
ポジションバランスが崩れる事を利用したものだった。
中央に囮の選手を走り込ませて注意を引き付けて絞りの甘い両サイドを狙う。
「2点リードまではこちらの計算通りだった」
試合後のミックスドゾーンでシュトルツの監督が述べた様に
前半25分の段階でシュバルツはゲームプランの変更を余儀なくされた。

「止むを得ん、行くぞ羽生」
水谷は素早く手を打って来た。
本来後半から登場させる『スーパーサブ』羽生を早々に投入、
同時にボランチを1枚下げてシステムを守備重視の4−3−2−1から
攻守にバランスの取れた4−4−2に変更する事で
マークの受け渡しの再確認を行わせた。
この荒療治によって混乱していた中盤が
落ち着きを取り戻すと徐々にペースを握り直す。
そして前半終了間際に得たCKを『爆撃機』の異称を与えられつつある
小柄な点取り屋が上手く頭に合わせて追撃の態勢を整えた。


後半に入ると大分の運動量の低下にも助けられ、
シュバルツは試合のペースを掌握した。
だがシステムを5バックに切り替え逃げ切りを図る大分の抵抗はしぶとく、
ゲームメーカー不在で攻めのリズムが一本調子になりがちな
ホームチームはなかなか得点を上げられない。
そんな手詰まりの状況の中、水谷は最後のジョーカーを切る。
後半38分、奔放なドリブラーである要田の突破は
ミドルゾーンにぽっかりとスペースを切り開いた。
そこに走り込んだ由口は大分DFが羽生に注意が回し過ぎているのを
見計らうと意表を突いたミドルシュートを放つ。
押さえの効いた低いシュートは見事にネットに突き刺さった。

「あ〜、それはそっち置いといていいから。
 うん、ちょっと待ってくれ。後でもう一度電話してくれ」
延長に入った競技場ではねずみ男がちょこまかと四方八方を
駈けずり廻りながら、スタッフらしき老若男女に指示を出している。
「ふぅ〜」
延長にまでもつれ込んだ為に明日の早いボランティア達は
既に帰らせたので少ない人手で必死に切り盛りしている。
「好意は有り難いんだけどなぁ」
最後までの残留を申し込みは彼を感激させたが、ぐうたらだったとは言え
元給料取りの彼に仕事を犠牲にさせる真似は出来なかった。
「雑誌で読んだ時は名案だと思ったのに」
猫の手も借りたい騒然とした忙しさの合間に苦笑を浮かべる。

イタリアのセミアマのチームでは地元の有志を募って
チーム運営を手伝ってもらい、心ばかりのお礼として
入場チケットを手渡す事で経費を抑えると同時に観客の確保を計っている。
この事実を知った金村は天の啓示をほ受けたが如く素早く動いた。
彼はなけなしの宣伝費を広告収入に悩む地元新聞社にぶち込み、
『ボランティア』の募集を開始したのである。
その効果は捌き切れない程の応募者と問い合わせによって現れた。
元々の地付き住民と国際空港開港を当て込んできた新住民との
心の軋轢が何かと問題となっていた宇和市においては
『共通のルール』を持つ『心の拠り所』が求められていた。
そんな彼等に取って話題性『だけ』はたっぷりある
『シュバルツ愛媛』は格好の受け皿だった。
「でも向こうは延長・Vゴールはなかったな」
そんな誤算もGM就任以来初めてヒットした企画に拠って
得た自信は些かも揺らがなかった。


「パチ、パチ、パチ、パチ・・・・」
開幕戦の頃に比べると幾分かは増えた観客に挨拶に出向いた
イレブン達に暖かな拍手が送られる。
10数年後ならばともかくこの地点では観客も
見る目が肥えていなかった為、ホームで引き分ける失態も
『善戦』として見られている。

「あ、痛たたたた」
追撃の狼煙となるゴールを上げ、その後は精力的なチェイシングで
大分DF陣の攻撃参加を阻止していた羽生は足を引きずっている。
無理もない。これまで45分以上試合に出た事のない
彼に取っては延長戦は未知の領域だった。
相手は反則覚悟の荒っぽいチャージをペナルティ外で仕掛け、
おまけに引き分けを意識し始めた味方のフォローは皆無に等しい。
そんな状況にも関らず真面目に前線で動き続けた彼の左足が
何らかの異常をきたさない方が不思議であった。

「大丈夫か」
そう言って肩を貸したのは苦戦の要因となり、
後日発売された専門誌に『4・5』の低採点をつけられた矢野だった。
「矢野君・・・・」
「悪いな、今日は」心底から彼は詫びた。
折角3連勝を果したチームの勢いを止め兼ねない失態を
密かに『プロ失格』と小馬鹿にしていた彼が埋めてくれたのである。
「いや、別に謝る必要はないよ。僕はこれが仕事だから」
矢野の二重の意味での謝罪には気付かず、
単純に今日の試合についての事だと誤解した羽生は屈託もなく応じる。

「・・・・・・もう馬鹿にはできないな」
10名程度の記者の取材に応じるべく、
彼の肩から離れた点取り屋を見やりながら矢野は心中で独語していた。
今までは同じピッチの上でしか観察する機会がなかったが
外から見る彼の動きは脅威だった。
巧みにスペースを作り出す動き、
マーカーのタイミングをずらす身体の使い方、
胸、両足を問わない吸い付く様なトラップ、
そして日本人らしからぬゴール前での冷静さ、
「成程、水谷さんが重用する訳だ」
私淑するコーチの選択にようやく彼は納得していた。


 

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