人生の大半を土中で過ごし、ほんの一瞬だけ訪れる晴れ舞台に
己の存在をけたたましく主張する昆虫達の鳴声が特待生達の鼓膜を刺激する。
「なぁ凛、これ解るか」
ピッチの上では得点への鮮やかな回答を示す勘三郎も
数学の世界では半分以下の回答率しか示せない。
「知るかよ。と言うより本当に今日中に片付くのかよ、これ」
こちらも悪友と負けず劣らずに『毎日30分程度』の
勉強量を多額の借金に伴う利子並みに溜め込んでいる。
「あ〜あ、何でテストは学年平均点以上で宿題は必ず片付けなきゃなんねぇんだよ。
おりゃ足の世界で食っていくから別に必要ねぇじゃん」
絶対の自信を持つ世界では微塵も感じた事の無い
−試合自体の結果は別として−
焦慮の汗は残り12時間の切った段階においては諦念へと変貌しつつある。
「べっぺさんみたいに地の果てまで飛ばされたくなきゃやるしかねぇんじゃないの」
幸か不幸か類稀な才能と隣接していた為に
一般社会での生活も考慮に入れざるを得ない凛は当面の課題解決には前向きである。
「どいつのにする?」
既に事態は破局に差し掛かっている以上、『いつもの』手段に頼るしかない。
「・・・田畑ん所は?」
意図を察した四国の天才少年は学年トップの名を上げる。
「ブツが問題だよな」
腕力では悠々と勝利出来る相手だが、
勘三郎はその対象を阿呆そうな不良どもに限定している。
「奴の家はフットボールは御法度だとよ」
「んじゃ、実技講習と俺達の解説付き試合観戦だね」
滑らかに弾き出す悪知恵は二人の汗ばんだ顔に
爽やかとは言い難い笑みを浮かばせた。
ジュニアユース所属の両名がサラリーマンさながらの接待攻勢に出向いた頃、
トップチームの面々はナショナルスタジアムに出向いていた。
勿論、彼等は遊びに来た訳ではない。
このシーズンから常連となるシーズン開幕前の儀式、
リーグチャンピオンとカップチャンピオンが対戦する割には
今1つ関心とグレードの高くないカップ戦に出場する為である。
半袖姿の鬼瓦がいつもの様にホワイトボードに
スターティングメンバーを書き込む。
「キーパーは小芝。
ディフェンダーが右に後藤、左に由口。
中央がジェモとキャプテン・木田」
淡々とオーソドックスな4バックが書き込まれて行く。
「中盤は右が徳宮、左が茂原」
左はサスペションに伴う人選である。
「中央はフラットでベッペと矢野」
瞬間、16名の男達に戦術の意図が伝わる。
ああ、今日はサイドからの攻撃がメインなのか。
「そして前線には」
国内のクラブチーム監督在任記録を更新中の太いもみ上げが一旦、言葉を切る。
「いつも通りに後ろに小栗、前に羽生だ」
『不調』と目される爆撃機の起用にも関らず、
集団の空気に驚きの要素はない。
単にマエストロ同様にクラブの象徴だからではない。
「現在は補強よりも熟成に重点を置きたい」
少しずつ回復しつつある持病ではなく、
徒な補強政策が二部陥落に繋がったケースを反面教師としての
クラブの方針は既に一同の承知する所である。
「木田、何か言う事はないか」
癖を知り尽くした面々に細かい指示は無用であり、
ここはキャプテンにチームとしての意志統一を図らせる。
「忘れ物を取りに、まず1つ取ろう」
手短な言葉に集約された台詞はフットボーラー達の意識を引き締めた。
毎年報じられる主力の移籍騒動も好成績と
回復基調の財政事情に拠って沈静化しつつある。
にも関らず、今年度のシュバルツの評価は今一つだった。
『フィニッシュの精度次第』
『羽生依存症の脱却を』
『新たなる攻撃パターンの構築を』
何れも例のPK以降、低迷していた爆撃機の様子を見ての評価だった。
人知れず回復基調に乗った小柄な点取り屋を最初に感知したのは
マリーシアと言うには些か荒っぽいプレーから、
『タナボタ』と陰口を叩かれるリーグチャンピオン達だった。
鋭敏な触覚が探し出すちょっとしたスペース。
身体能力ではなく、マーカーの体重移動のタイミングを見計らって
作り出す一瞬のフリー状態。
そして回復した特殊能力と自信が再生する鳥もちトラップ。
オフサイドと判定された前半10分の復活弾は
瞬く間に漆黒の選手達にリズムを与えた。
「結局、うちは羽生次第って事か」
偶然と幸運が一致したスカウトをやってのけたねずみ男が貴賓席で呟く。
リーグ二位の信用が産み出した信用は
銀行やスポンサーからの資金獲得に繋がり、
水面下でのフォワード獲得への動きを可能にしていた。
しかし・・・・
『今のウチには爆撃機以外のフィニッシャーは不要だ』
と補強の動きを止めたのは選手達と先制点を喜び合う鬼瓦だった。
「ならばあいつの指針が正しかった事になるな」
金村は不承不承ながらも歪んだ友情関係にある
−両方とも間違っても事実を認め様とはしなかっただろうが−
水谷の慧眼を認めざるを得ない。
「今は良い。だが・・・・」
主力と目される選手は軒並みニ十代半ばに入り、
体力と経験の均衡が取れ始めた。
恐らく、今後数年はタイトル獲得は容易だろう。
「でも彼等の能力がピークを越えると・・・」
立場上、衰退への備えを怠れないへぼGMだった。
ピッチでは成熟と洗練が融合したプレッシングが
ワインレッドを絡め取っている。
切り札の不調に一抹以上の不安を覚えつつも
後一歩の悔しさを自己の鍛錬に当てた新年杯チャンピオン。
対してフィジコの目立たない不手際を
リーグチャンピオンの美酒に拠って放置してしまい、
心身双方が戦える状態になかったリーグチャンピオン。
勝負は戦う前から決まっていたのかも知れない。
である以上、この試合のハイライトは後半12分のシーンと
万人が目したのも当然だった。
若干噛み合わない左サイドを補正していた
レフティモンスターのサイドチェンジに走り込む右サイドバック。
ダイレクトの低くて正確な折り返しと、
18番からの訣別を果たした爆撃機の巧みなデコイランは
二列目からの飛び出しを見せるイタリアンに得点を予感させる。
だが実際に彼が産み出したのは古典的ストッパーの赤紙退場と
ペナルティスポットを指し示す審判の動作だった。
おい、誰が行く。
漆黒に訪れた一瞬の逡巡はフットボーラー人生初の
『10番』を背負った羽生によって打ち消された。
一瞬の間をおいて放たれるガレオスサイドの盛大なブーイング。
だが三年に渡って空き番だったエースナンバーを強く希望する事で、
−シュバルツに措いては通常、背番号はフロント主導なのだが−
復調を感じた感覚に対する精神を同調させようとする羽生は些かも怯まなかった。
真っ直ぐにキーパーを見据えて八歩の助走から丁寧にコースを狙う。
左手で小さくガッツポーズを決めるポーズは何時もの羽生ではなかった。
だが復活に歓喜するイレブンやサポーター達にはそんな事はお構い無しだった。
競技場全体を支配する安堵の雰囲気。
それはガレオスの抗戦意欲を削ぎ取ると同時に
羽生達也のパーソナルナンバーを産み出した。
背番号10。
以後、シュバルツに措いては木田将人の5番と同じ神聖不可侵なオーラを纏う事となる。
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