それ程正確と言う訳ではないが、強靭な筋力を感じさせる
フィードがバランサーの足元へと渡る。
バランサーが状況判断の良さでチェックをいなすと、
後藤が右サイドからオーバーラップを仕掛け対面の動きを鈍らせる。
ヒールパスを受けた左サイドバックは効き足の右で
奔放な左サイドアタッカーへとはたく。
サイドバックとのタイマン勝負に勝ったスキンヘッダーは
「センタリングです」と言い張ったシュートを放つが
強気の行動は屈強なストッパーの予知範囲だった。
ペナルティエリアに群がるフットボーラー達。
最後の勝者はやっぱり漆黒の背番号18だった。
天王山同様の得点シーンがアジアクラブカップの決勝進出を決定付け、
羽生がサポーターと喜びを分かち合うシーンまでも再現される。
先月の開店出血価格を値切って買い取ったテレビ見ながら、
運営責任者は不細工な面をピカソの創作意欲を高める様に変化させる。
「嫌な天気だ」
ここの所続く天候不順はどうやら明日も続く様だ。
別にリーグ初優勝が掛かった明日の大一番における出足が鈍くなるとか
『記念』グッズの売り上げが鈍るとかそういった話ではない。
どこか言語化出来ない不安が胸中に渦巻くのだ。
「阿呆らしい」
非理性的な思いを振り払う様に首を横に動かすと、
へぼGMは優勝パレードの交渉の為に市役所へと出向いた。
「出来ればもっと楽な相手が良かったのだがな」
鬼瓦の眼に写る常陸ロッサは良く言えば玄人受けする
渋い大人のフットボールを披露していた。
高さと速さが揃ったセンターバックを三人も揃えたディフェンス。
ウイングバックの使い方を心得ている中盤。
そしてヘディングの強い二枚のストライカーが並んだツートップ。
そして何よりも五連勝の自信を漲らせてゲームを支配する様子は
くじの支持率に象徴されている様に五分以上の勝算が見出せない。
「こういった場合はアウェーの方が良いのだがな」
宇和では勝負に徹するだけのフットボールが嫌悪されているからではない。
過度に勝負を意識させるとガレオスとテヘラン戦の終盤にも見受けられた
意識下の疲労が一気に表面化する危険性が存在する。
「何処で誰と交代させるか・・・・・」
茂原・村亀・遠藤と言ったサブの面々を脳中に思い浮かべながら
水谷は何十枚目かの紙にフォーメーション図を書き込み始めた。
その日の宇和スタジアムの雰囲気は異常だった。
何時もの様な『おらが街のチーム』を応援するサポートの精神よりも、
リーグ初優勝のシーンを見収めんとする好奇心が剥き出しとなっており、
浮付いた空気がピッチのみならず、雨天に覆われた街全体を支配していた。
「道頓堀があればなぁ」
「駅ン所の噴水に飛び込んでも知れてるからなぁ」
「ビールの用意は出来てるのかよ」
「抑える所は抑えてあるって」
勝利を前提とした会話が漆黒のレプリカの間で大量発生される。
そんな空気はホームチームに意志の不徹底を招き、
アウェーチームにヒールとしての決意を固めさせた。
自重するサイドバックと単独攻撃が目立つサイドハーフ。
「徳!、礒!無闇に上がるな!」
先月の入学式ではダンディーを気取った服装が、
『怖いおぢちゃん』のイメージを増幅してしまって、
7歳の少年少女達を泣かせてしまった鬼瓦が
今度は風貌に相応しい凶暴な雰囲気を発している。
まずい。
どうにも腰が浮付いている。
サイドハーフとサイドバックの間隙はロッサの
『モダン・カウンター』を支えるウイングバックの好餌となった。
展開力に欠けるとの評を覆すサイドチェンジ。
プレッシングの網が皆無な地帯で悠々と仕掛ける得点への好機。
漆黒のイレブンに危機感が走り、急いで危機への対処に走る。
「おいおいおい!!」
珍しく守備に参加したスキンヘッダーが下手糞な後方のタックルをかまし、
イエローのサポーターからブーイングを浴びる。
ファウルと感知して一瞬、動きが止まるシュバルツ。
「ば・馬鹿!!」
セルフジャッジの失態はアドバンテージとなって流される。
羽生の7割程度の得点を記録している男のヘディングシュート。
血の気が引いて静まり返るスタジアム。
判定に文句をつける礒野。
「・・・!」
一瞬の自失から立ち直って駆け寄るマエストロの遠目にも
赤紙の提示がはっきりと見えた。
ビハインドのプレッシャーは皮肉な事に余分な熱気を冷まさせた。
「羽生のワンに、徳がダイヤモンドヘッド。
俺が左で右がべっぺのダイヤモンドで」
小栗との交代でピッチに入った茂原が水谷の意図をチームメイトに報せる。
「オッケー」
瞬時に4−3−1−1のフォーメーションがピッチ上で出来あがり、
チームの意図が明確化される。
水滴の存在が宇和駅前に特設された大画面でもはっきりと確認される。
「羽生頼みのカウンターかよ」
高倍率に外れたサポーターの一人がキーパーの守備範囲だったものの、
背番号8のスルーパスに反応した背番号18の動きを見て呟く。
「仕方ねぇよ。他に手段がねぇよ」
失点直後から顔を濡らし始めた水分を拭き取りながら相方が応答する。
『リードされてるから攻めるしかねぇ』等と言う単細胞な発言や思いは
衛星放送が伝達する情報に拠って否定されている。
「時間は余裕だけど、ロッサが隙を見せてくれるかな」
勝てば3位の目もあるロッサは1−0のスコアを固定化させる方向で
試合を進める可能性が高い。
「仲間を信じようぜ」
『フォルツァ組』に属する二人は幸運が味方すれば、
漆黒のレプリカに囲まれた環境で生観戦出来る身上だった。
「ああ」
生返事には信頼と悔恨が入り混じった感情が色濃く混じっていた。
後方でのボール回しにブーイングの輪が襲い掛かる。
元々熱狂度の高さで知られる漆黒のサポーター達は
先月のテヘラン戦を経てさらにグレードを高めている。
老若男女が発する高低の音量は野太さ一辺倒とは一味違った
プレッシャーを黄色のユニフォームに与える。
少しずつ乱れ始めるパスの精度。
反比例する様に羽生のチェイシングの範囲内に
少しずつ近付き始める失点の危機。
最初に焦れたのはセンターバックではなく、
普段は守備固め要員のストッパー兼ボランチだった。
「やばっ」
足技の技量不足を曝け出す不用意な横パス。
思わず出てしまった左手によって倒されるリーグ得点王。
場所がペナルティエリア直前だったのが不幸中の幸いに思えた。
カメラマンに取って雨天での仕事は
敬遠の心情と欲望の心情が交錯する場である。
飯の種となる機材の手入れの手間暇。
ライバルが少しは減るかも知れない期待感。
尤も専門学校出のしがない契約カメラマンに仕事を選ぶ贅沢は許されない。
『シュバルツの優勝シーンを取る為だけに』
一眼レフを相棒とする人生を選んだ浅利に取っては
そのシーンは十数年を経た後も鳥肌を覚える程に
鮮明な感動と戦慄を覚えさせた。
無造作に伸ばされた髪から滴る水滴を拭いもせずに、
ゴールを見つめる漆黒の背番号8。
デコイととして近付こうとした後藤を躊躇させる程に高まっている集中力。
そしてボール前に立った姿勢の良さ。
何かを予感させるに充分な一瞬はブレの無い確かな技術に拠って
記念館に保存されている。
キッカーは助走を殆どつけずにインフロントで衝撃を与える。
人壁の左を横切ったボールは回転軸を横から縦へと変化させ、
キッカーの思惑通りにゴールライン手前でバウンドする軌跡を描き出す。
よしっ!
キーパーのファンブルを誘う振りをして得点を狙ったフリーキックは
ロッサゴールキーパーのトラウマを呼び覚ます。
うっ。
躊躇した反応と萎縮した左腕はボールへのタッチを拒否する。
鋭いスピンの掛かったボールはサイドネットの内側を滑って
シュバルツの同点ゴールへと変貌した。
雄叫びを上げてガッツポーズを披露する右サイドハーフ。
周囲に駆け寄る僚友達。
一拍遅れて翻るずぶ濡れの重い髑髏。
その様子はロッカールームへの入り口で待機する
犬猿の仲もはっきりと確認出来た。
・・・・まぁまぁやるじゃねぇか。
スキンヘッダーは生まれて始めて徳宮のプレーを賞賛した。
後半に入るとフットボーラー達の体力を奪う
水滴の量と勢いは激しさを増していった。
水はけの良い濃緑の絨毯は次第と
インスピレーションの合わないパスミスを描き出す様になり、
『優勝決定戦』の看板に泥を塗る場面を現出させる。
渋い表情を隠せないのは数的優位を活かせないロッサの監督。
複雑な心情をオブラートするのはシュバルツの監督。
カウンターモードのシュバルツ相手に深入りは危険だな・・・・・。
今の状態がリズムが出ている分、仕掛けるタイミングがな・・・・。
共にプレスラインなど跡形も無くなったスーツを微塵も気に掛けずに、
局面打開の手順を脳裏に浮かべている。
先に動いたのロッサの方だった。
相次いで投入されるアタッカー達。
しかしシンプルでゲーム支配率を高める縦のアタックを重視する
コンセプトではアクセントはつけ難い。
寧ろ中央での密集状態の招来するだけとなっしてまい、
アウェーチームに下品な放り込みが目立ち始める。
「うん」
難しい展開に見せた勇気と自チームに取って有利な展開に頷く
鬼瓦の耳はVゴール到来を告げるホイッスルを捉えていた。
シーズンを通じて蓄積された疲労と
10人での緊張感がブレンドされた空気の中、
羽生の肺活機能が要求する膨大な酸素量は激しい呼吸音を産み出している。
ワントップで仕掛ける前線からのボール回しと
フォローが皆無の状態で臨む韓国の至宝との勝負。
『質の高い動きは無得点だった事実を補って余りあった』
と評されるパフォーマンスが体力と集中力を消耗させない訳ではない。
しかし爆撃機の代理を務められる
−役割ではなくフォワードとしてのポジションと言う意味である−
小栗は退場劇の際に交替させている。
「頼むぞ」
水谷は分厚い掌で小太り気味の肩を叩いて励ますしかなかった。
前半の退場劇以降、10人でのフットボールに専念していた
シュバルツサイドが動いたのは、
ガレオスのVゴール勝ちが知らされて後の事である。
「近藤、亀」
守備要員を投入するのは攻撃のセンスあるディフェンダー、
特に左腕にキャプテンマークを巻く男に攻撃に参加する様にとの
メッセージが込められていた。
この日の宇和スタジアムは『不要なプレッシャーを与えない為』
他会場の試合結果・途中情報は一切知らされていなかった。
九割以上のシュバルツサポーター達もその辺りは心得ていて、
携帯での情報収集に走っても安易に洩らす事は無かった。
それだけに後藤がサイドハーフの位置に上がり、
マエストロが中盤の底からゲームを作る様になると
自分達のチームが必要である勝ち点2のサポートに懸命に声を張り上げる。
『頼む』
祈願と信頼の感情が重なり合う高低の音響が披露困憊の漆黒の足を動かせる。
矢野のフォローを信じた由口が内側に切れ込む斜動でボールを確保する。
ワンツーの受け手の素振りを見せながら、
素早く正確なフィードを披露するマエストロ。
ワントップのスペースメイキングによって生じた
位置に走り込むのは赤目のイタリアン。
飛び出すキーパーと主審と線審を確認したべっぺは
カルチョの裏伝統を披露することでPKを確保した。
極少数のブーイングを掻き消す圧倒的声援は
ペナルティエリアへと出向く爆撃機を後押しする様だった。
「フォルツァ」
珍しく、母国語を呟いたべっぺは言い知れぬ不安を察知した。
何だ。この胸騒ぎは。
タチャーンはこれまで六度の機会を全て決めてるじゃないか。
イタリアンは顔に滴る水滴を振り払って、
自チームの勝利の瞬間を凝視しようとする。
だが・・・・
極度の疲労と始めて味合う緊張はリーグ得点王の感覚を狂わせた。
バーが発する冷たく乾いた衝撃音。
ボールは『理不尽な』判定に対する興奮冷めやらぬ
アウェー席へと向い、20人のフィールドプレイヤーが
眼前の事態にリアクションを起こす前に
彼等のシーズン終了を告げるホイッスルが響き渡った。
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