『一からの再生』を掲げた『シュバルツ愛媛』の
御披露目会見は危機感をオブラートした内容だった。
「まずはJ2での生き残りを考え、身の丈に合った運営を心掛けたい」と
新米GMが資金不足が予想される抱負を述べれば
「経験豊富なベテランと潜在能力の高い若手のバランスを取って
この一年を戦っていきたい」と
オランダ帰りの監督はJ2残留を第一とした目標を掲げる。
普通、こう言った会見ではもう少し景気の良い台詞が飛び交うものだが、
スポンサー撤退・J2降格・主力選手大量離脱の
トリプルショックに見舞われた
プロヴィンチアではこれが精一杯だったのである。
『地域リーグ降格組はシュバルツとここ』『Jバブルの崩壊の見本』
ネガティブな評価に染まっていたJ2陥落チームの初戦の地は『外国』だった。
『函館エスパーダ』を熱心にサポートする道産子達は
今年こそJ1昇格を信じて全天候型ホームグラウンドを
チームカラーの赤と黒に染め上げている。
そんな様子を見ながら金村は「大変だな」と溜め息と共に独語した。
眼前の光景に対して、ではない。
交通手段、練習場、宿の確保に始まり、
割り当てられたチケットの販売、
少数の熱心なファンの為の応援ツアーの手配、
マスコミとの対応、etc・・・・・・
激務である事は予想していたが、
自らが決断を下し、全ての責任を負う仕事の重責は生半可ではなかった。
しかもこれは試合に限っての事であり、
その激務の合間を見つけてスポンサー捜しの営業、
地元の新規サポーターの開拓を目指した様々なイベント、
借金のカタに委託した『スポーツ普及業務』もこなさねばならない。
「こんな事ならもっと真面目に仕事に取り組んどきゃよかった」
頻発する細かいミスや行き違いの処理に忙殺される
『ねずみ男』は頭を掻きながらはぼやいた。
開幕戦独特の緊張と喧騒が漂う
ピッチ上ではアウェーチームが緊張と技術不足の双方に由来する
きごちないアップを続けていた。
「少し過緊張気味だが・・・まあ、やる気がなければ緊張などすまい」
就任以来、彼が最も気を配ったのは
リストラされたベテランと進路未定の若手の混成部隊に蔓延する
『負け犬根性』をどう払拭するかであった。
『大丈夫、お前達はやれば出来る』と
単に根性論を振りかざすだけではやる気は出るだろうが、
それでは同じ結果を繰り返すだけである。
水谷が最も留意したのは個々の役割を徹底化させたグループ戦術を
叩きこむ事で理論的な裏付けを得る事と、
確実に勝てる相手との試合をこなす事で自信を植え付ける事だった。
彼が実行した事は別段目新しい事ではなく、
数年前に『そこそこ上手い奴が11人集まった』だけの
ナショナルチームを『チーム』に変貌させた
オランダ人監督の手法と同様である。
だが『コーチ』としての確たる実績のない彼が
プライドの高い一部選手の反抗に悩まされたのに比べると、
『オランダリーグを席巻した智将』と言うブランドを持つ
水谷の指導が滞る事はなく、
ある点を除けば満足出来るレベルにまで達していた。
「ストライカーがなぁ・・・・・」
その風貌から『鬼瓦』と陰で呼ばれる男は心中で独語する。
守備や中盤の組み立ては工夫次第でまあ何とかなる。
しかし得点はそれだけでは生まれない。
総合力の低いこのチームにはやはり傑出した個性が不可欠なのだ。
現在のエース格である下田も悪くは無いがここ一番の決定力に欠け、
練習試合でも苦労して作ったチャンスをフイにする事が何度かあった。
「さてどうしたものか・・・・」
その時「あ、痛たたた・・・・」と倒れ込む男の声が聞こえた。
その方角を見ると腰に手をやってうずくまる控えFWの恵尻の姿があった。
その瞬間、彼の頭脳に一人の少年の名前が浮かんでいた。
−博打だけど使ってみるか−
彼は練習生待遇の新人選手のベンチ入りを決断していた。
北国での開幕戦は戦前の予想通りにホームチームが試合の主導権を握り、
アウェーチームが劣勢に耐え忍ぶ展開となった。
未来のセレソン候補と目される18歳の怪物が
爆発的なスピードで対戦相手の守備陣を切り裂こうとする。
だが一対一では勝負にならない事を知悉している
アウェーチームはカバーリングとコーチングを徹底させる事で、
主導権と制球権は握られながらも決定的なチャンスは作らせない。
同時に中盤でもしっかりとボールをキープして、
素早いパス交換から好機を演出する意図が伺えた。
「やるじゃないか」記者席や客席から感嘆の声が上がる。
ネームバリューから見れば勝負にならないチームが五分近くにまで
渡り合う展開は判官贔屓の感情をくすぐるのに充分な材料だった。
そんな雰囲気を感じ取ったアウェーチームは欲が出て、
ほんの少し攻守のバランスが崩れてしまった。
「まずい」水谷が慌ててタッチライン際にまで駆け寄って
修正を施そうとするが、J1経験者の猛者で固めた
函館のMF陣はその好機を逃さなかった。
彼等は素早くボールを奪い取ると、手数を掛けずに
ロングパス一本で前線の『褐色の弾丸』にボールを渡す。
プレッシャーの減少からようやくきちんとした態勢でボールを受け取れた
彼がチーム初得点を挙げるのは難しい事ではなかった。
「羽生、行くぞ」
「へっ?」
18歳の少年は監督の言った言葉の意味が理解できなかった。
「試合に出すぞ、と言っている」
水谷は顔を和らげて疑い様のない台詞を口にした。
「出番は後半からだ。それまでに身体をつくっとけ」
「は、はい」自分の出番だと言う事をようやく悟った羽生は緊張の余り、
声を裏返らせながらも飛び跳ねる様にアップを始めた。
「監督、大丈夫ですか」
入団以来半年に渡り、プロらしからぬテクニックの不味さに閉口していた
アシスタントコーチが否定のニュアンスの濃い懸念を発した。
「あいつの得点率の高さは君も知っているだろう?」
「はあ・・・」確かにこれまで出たミニゲームや練習試合でも
目立つプレーは無いものの得点だけはしっかり挙げている。
「ここで0−1の『善戦』に満足されると後の25試合に響く」
水谷が考えているのは目先の試合だけではなかった。
「ほう、羽生を使うのか」
ウォーミングアップをする小柄な少年を見た金村はニヤリとした。
彼と契約したのは全くの偶然だった。
それは経営撤退が噂され、騒然とした雰囲気がクラブを包む中で
駄目で元々の精神でスカウトに出向いた冬の高校選手権での出来事だった。
お目当ての選手が出る前の試合に交代出場した彼は
『その瞬間』まで地味で鈍臭そうなサイドバックとして
まずまずのプレーを示していたに過ぎなかった。
−試合終了直前に劣勢のチームが相手ゴール前で間接フリーキックを得る。
キーパーを含めて全員が攻め上がり、朝のラッシユ並みに混雑する
ペナルティエリアにアバウトなロビングが放り込まれ、
キーパーが中途半端にクリアしたボールは唯一距離を取っていた
小柄なサイドバックに渡る。
彼はワントラップでボールを処理するとそのままボールをすくい上げる。
ボールは緩やかな曲線を描き、飛び出したキーパーが届きそうにもない
コースにゆっくりと収まっていった−
サッカークラブの職員でありながら、
『オフサイドって何』等と寝言をかましていた金村だったが
何故かそのプレーだけが強く印象に残った。
その後クラブ運営の実権を『握らされた』彼が
独断で専門学校彼行きが決まっていた
彼と練習生契約を結んだのは経営撤退正式発表の1週間前の事だった。
前半、どうにか1点差に食い止めたアウェーチームの
後半からのメンバー変更を確認した観客から疑問の声が上がる。
「羽生達也?誰、こいつ」
「将棋の人の親戚じゃないの」
公の場に寝癖をつけて現れる天才棋士同様に
朴訥な印象を与えるこの少年も外見を人に賞賛される事は無く、
同時にその仕事振りで人々に畏怖の念を与える事になる。
左サイドで味方がボールキープしているのを確認すると、
ゆっくりとゴール前から遠ざかり、マークを緩める。
そしてボールが上がる瞬間に空いたスペースにダッシュを仕掛ける。
スピード自体は大して速くなくても緩急をつけた動きに
マーカーは対応できず、彼は不正確なセンタリングに命拾いさせられる。
中盤の競り合いからのこぼれ球をDF特有の粘っこさでキープすると、
ようやくアタッキングゾーンまで上がってきた味方の足元にパスを出す。
同時にワンツーを狙ってペナルティエリアに侵入するも、
プレーのイメージが噛み合わず、得点は生まれない。
こうして羽生のデビュー戦は一部関係者に強烈なインパクトを与えたが、
記録としてはチーム同様にノーゴールのまま終了した。
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