右の瞳を閉じた修一郎の視覚は濛々と上がる土煙を捉えている。
「お出ましの様や」
年頭の挨拶の際に博方衆から献上された『遠眼鏡』によって
小室と長谷川の軍勢を確認する。
「物見の繋ぎは出来とるか」
声の響きは疑問の響きは無い。
「四半里(1キロ)ごとに配置しておりますれば」
筆頭参軍使の返答にも確認以上の成分は含まれていない。
「この辺りで布陣致そうか」
美々しい鎧の重さと男達が吹き出す熱意に少量以上の汗と疲労が
滲み出ている小室家の次期当主が指示を下す。
「はっ」
廻りを固める近習の者達が弾ける様に各所に出向く。
一見、整然とした指揮組織に見えるが
元々の予定が皆無に等しい為に四千の軍勢は
−この場合は雑兵を入れた概数である−
無駄な動きが目立ち、視界を防ぐ土煙と隙が産まれる。
「下手な芝居にゃ、石火矢の代金を支払おうか」
無論、修一郎は小室が与えてくれた好機を見逃すつもりは無い。
「白・赤・赤・緑!!」
玄武の頃より息づく意思伝達法が軍団長の声となって現れ、
旗手達が振り回す色彩は鮮やかな死神の恋文でもある。
「よっしゃ、やったるべや」
形状は鶴に似ても、美しさなど微塵も感じられない
奇人は出番に目を光らせる。
「目標よぉーし、射角よぉーし、台座よぉーし!」
配下達が八度目の事故を出さない為の確認が飛び交う。
「そぉーりゃっ!」
浩右衛門尉は紅い旗を振り下ろす事で
『梅原会戦』と称される野面の戦いの開幕の大任を担った。
戦場への運搬が可能になる様に軽量化に務められた為に、
−職人の熟練に拠って為された為に規格化など夢のまた夢だが−
当時の『石火矢』の破壊力を三割程度減少させた
砲弾が騎士の概念を彩った連中へと振り注ぐ。
「な・何だ?」
直撃を食らっていなかった為に疑問を生じる時間と生命を与えられた
監軍使脳裏には予想外の出来事に混乱を生み出す余裕が生じていた。
「石火矢が何故に野面に出て来るのだ?」
鉄砲が『鳥脅し』として肯定的に認知されていないのにも関らず、
『石火矢』と称される大砲がそれなりに認知されているのは、
大海原に渡って商いを続けている暁徳自治領の御陰だった。
辺境を地でいっている河南でさえ、
『海の大戦に使用する火器』としての認識が一般に定着しており、
梅原の顛末を聞いた博方衆の一人が日記に
『樹州殿(修一郎)は想像の他に位置する御仁也』と
驚愕の念を記している程である。
「ふーん、ま、最初の虚仮脅しにはなった様やな」
『想像の他』と評された猫背は特に興奮する様子では無い。
「砲弾と煙硝が切れればおさらばですからな」
幾ら軽量化に成功したからと言って石火矢組が
鉄砲衆の様に機敏に移動出来る訳ではない。
−これとて創立時から鉄砲に馴染んでいる黒一天故の事だが−
土台をしっかりと固め、重量の嵩張る砲弾を使い易い様に配置し、
そして不慮の事故が起きない様に煙硝の取り扱いには細心の注意を払う。
これだけ難儀な仕事が付随すれば極度の緊張が強いられる
戦場での移動が期待出来ないのは当然だろう。
「どっちから攻める?」
小室と長谷川の双方に攻撃を仕掛けるのは愚策の一言に尽きる。
「長谷川より。小室は鉄砲打ちで待ったを掛ければ宜しいかと」
「そやな。十兵衛殿はこっちの様子を調べとる様やし、
厄介な連中は早目に退場願おうか」
監軍使の情報網は芸事祐筆の掌中だった。
「こっちも厄介なんがおるからな」
修一郎は苦笑いと共に右翼後方の『縦三羽』の旗印に視線を移した。
「緑・白・白!!」
黒一天軍団長が何時もの意志伝達法で二番に拠る鉄砲射撃を命ずる。
「それと使番、伝令や。粗相の無い様にな」
「はっ!!」
丸崎からの客人に長谷川への攻撃を依頼する旨を受領した
男達が五人一組で動き出す。
「駒六殿なら大丈夫なのでは」
筆頭参軍使は使番を束ねる組頭への信頼を言語化する。
「うちでまともに礼儀が出来とるのはあいつだけやからな」
「黒一天軍団長・本間龍長より
園章衆のお力をお借りしたい旨、受領して参りました」
弥四郎の得意技の轟音が直接の戦場を支配する中、
通りの良い声が『縦三羽』の陣営に響き渡る。
「あい解った」
重低音が与兵衛の声帯から産み出される。
「これより矢を射掛けよ」
「承知!」
駒六は援軍の応答に激し落差を感じていた。
あ、よそじゃこれが普通か。
使番組頭は自身の軍勢がこの時代に在っては
『先進的』且つ『特異』な組織だった事を再確認した。
「放砲、開始ーっ!」
やや上擦った十兵衛の甲高い声が西本家鉄砲衆に響き渡る。
やや合って黒一天のそれと比べると迫力も練度も劣る
射撃音が園章衆の第一列を包み込む。
「ふん、猿真似か」
饗応の不手際を利用して無理矢理に合勢した仏頂面は
面白くも無い表情で呟く。
「如何致しましょうか」
副将は黒一天以外に鳥脅し使いが集団で存在する事実に
対応に困っている念がはっきりと出ている。
「知れた事。竹把を前面に出してやり過ごさせす。初見でもあるまい」
強烈な不機嫌の雰囲気は本質を素早く把握していた。
西本十兵衛と南与兵衛の槍合せの構図は前者が攻め、
後者が凌ぐ展開を一歩もはみ出る物ではなかった。
「二人ともなかなかやりよる」
鉄砲(火力)と共に戦場を闊歩した
黒一天軍団長から見ればまだまだ『未熟』の一言に尽きる
長谷川家監軍使の歩・騎・砲の混合戦術はそれでも主導権を手放したり、
逆撃を食らう真似は史で仕出かさなかった。
一方、当時の標準的な軍勢の範疇に止まっている
『有難迷惑な助っ人』の方は才能の欠片もない動きながらも
自勢を決して危険な線に押し込ませる様な事はなかった。
「軍団長殿」
修一郎の注意を左翼に、つまりは黒一天本隊に振り戻す様に
筆頭参軍使が声を挙げる。
「小室の坊主は温い奴やから大丈夫や」
意図を察した修一郎はそれでも遠眼鏡で戦況の確認を行った。
現在の技術水準から見れば『幼稚』の一言に尽きる
舶来品が映し出すのは猫背の青年が見慣れた光景だった。
重々しい鎧で身を固めた騎士の従者達を狙い打つ砲兵。
五人一組で『正々堂々』の概念を破砕する足軽。
そして機動力を活かした突撃を仕掛ける騎兵。
勢州を代表する強豪も三田衆・安堂・羽戸川と同様の運命を辿りつつある。
しかし郷士出のしがない胥吏が河南の主に成り上りつつある事実は
修一郎に興奮を呼び起こす事は無い。
「あいつ等とやったらどうなんのかな」
代名詞の対象は武勲を稼がせて貰った東管家でも糞鬱陶しい白虎でも無い。
陰惨な御家争いのに拠って失われた左眼の光を追い求めるかの様に
精強な騎馬軍団を作り上げた『赤色虎』。
当代随一の強兵を相手に自分のやり様がどの程度通用するのか。
樹州知事の時とは違う関心が頭に湧き出してくる。
「おいおい」
余りの先走りに苦笑いで頭を振りながら
修一郎は眼前の戦場に意識を振り向けた。
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