初春の成分が漂う潮風が男に存分に吹き掛ける。
年の頃は三十を越えるか越えないかぐらいで
長身と言える程には高くないが体つきその物は均整が取れ、
きびきびとした挙措は引き引き締まった筋肉を連想させる。
その一方で面構えは標準以上に整っているが人々に与える印象は薄い。
何故なら何に不満なのか詮索したくなる程に
不機嫌な表情と雰囲気が周囲を圧し、
当時と後世に残る資料にも優美だの華麗だのと言った
軟弱な言葉が一切の出番が与えられない。
「もうそろそろだな」
重低音の音声が男の喉から発せられる。
「はっ」
副官らしいニ十代の青年が畏まっているのは役職故と言うよりは、
厳格な雰囲気対してと言う印象を与える。
「穏やかな海だと船酔いとも無縁で気持ちが良い」
片頬を緩める仕草が不自然なのは気遣いの故でろあろうか。
「ははっ」
副官が一層、恐縮する様を見る限りでは
彼の意図が奏したとは残念ながら言えない様だ。
「小早舟が数隻見えまする!」
遠目の聞く哨戒役の怒鳴り声が気まずくなる空気を救った。
「あれが園章の船かのう」
平九郎の依頼を受けた海の番人達が旗印の確認を急ぐ。
「何時見ても堅牢そうな作りじゃわい」
波と風の荒い外海に面する者達が生み出す船は
櫓櫂がついていない為に小回りこそ効かなそうだが、
風を捉えるべく帆柱に張り出された三角帆と四角帆が
俊敏な動きを可能としている。
「信号出ました!打ち合わせ通りの奴でさ!」
「おう!」
頬髭に覆われた男は海に生きる者に相応しい大声で応じた。
三日間に渡る船旅から開放された将兵達が
少し肌寒い初春の風を浴びながら、
しっかりとした足取りで船着場に降り立つ。
「結構な賑わいだな」
小規模な不正規戦が間欠泉の様に勃発する彼等の故郷では
閑散な港に殺伐とした雰囲気が漂っているのが常であった。
「も、申し上げます」
船荷でごった返す喧騒を縫う様に先行させた副官が報告を行う。
「黒一天軍団長がお越しになっておられまする」
「何?」
援軍の将が確認するまでも無く、猫背の青年がこちらへと近付いてきた。
「貴殿が南与兵衛市武殿か。ようこそお越し頂いた」
修一郎は気難しい雰囲気に対して親し気な歓待の意を表す。
「樹州殿御自らの出向い、痛み入りまする」
与兵衛と言う通称を持つ男は修一郎自らの出迎えに畏まって頭を下げる。
「我等園章衆、如何なる修羅場も怯える事無く
戦働きに励む所存故に遠慮なくお使い下さいませ」
丸崎からやって来た援軍の将は気負った表情を作る。
「精鋭を持って鳴る園章衆の方々にそう言われると嬉しい限りだが
此度は鯨と戯れている連中をお願いしたい」
この辺りは事前の打ち合わせ通りの台詞である。
「こっちの荷物はこちらでええんですかいのー」
「こりゃ、小僧。もうちっと腰を入れんかい!」
修一郎と与兵衛が連れ立って博方の中心部へと出向くと
船着場には元の活気が戻った。
「ここは暖かいがや」
「儂等ん所とは違ってお天道様がよーうに拝めるぞい」
この地では聞き慣れない訛りを発する雑兵達が
物珍しげな視線を振り撒いている。
「さあさあ、こちらでございます」
低姿勢な道案内達が何処からともなく沸いて来ると、
整然と目的地へと連れ出していく。
「こりゃあ手回しの良い事で」
てっきり四半刻程は待たされると考えていた雑兵達は
驚きと喜びの思いを隠せない。
その御陰で彼等は自分達を観察する人夫達の存在には全く気付かなかった。
関中の洗練された雰囲気でもなく、
さりとて関東の荒々しい雰囲気でもなく、
勿論関西の優美な雰囲気でもない。
豪快さと繊細さが融合しつつある衣装を身に纏った役者達が
二流の演出家に拠る二流の演技が古典の名作を披露している。
当然、その出来は目の肥えた人物が閉口する代物だったが、
幸いな事に園章衆の大半は内容を理解できず、
ごく少数の理解者達も儀礼の事柄に文句を挙げるつもりはない。
「中々の物ですな」
接待される不機嫌面は十割の社交辞令を口にする。
「いやお恥かしい。何分にも寄せ集めにて
まだまだ呼吸が合うとりませんが、今の所はこれが精一杯でして・・・」
演技に対してではなく、声の感情を感知した猫背が応答する。
ふむ、少しは理解出来るらしいな。
遠征軍の慰労に何がしかの演劇を催すのはこの時代の作法なのだが、
この頃の河南の文化水準などまだ『田舎』と言える段階にも達していない。
それにしても・・・雪香の言う通りにやめとった方が良かったかな。
こんなんやったら俺でもやれるで。
接待を行う方が冷や汗を掻いていた頃、
幹部達はその補佐に務めていた・・・筈なのだが、
一番頭は不出来に悪感情を隠せずに却って園章衆が気を使い、
二番頭は弁当の食材について朋友の様に論じ、
三番頭に至っては意気投合した連中と武勇自慢に明け暮れている。
「いやはや、何とも」
全体の進行を差配する芸事祐筆が呆れた感情を声に表す。
「仕事はやり易いのだが」
その主語は勿論、首脳陣のごく一部にしか知られていない事柄である。
ふむ、あそこは連中は真正の援軍でこちらは商売に参上した方だな。
観客をそれとなく気遣う振りをしながら、
目利耳聡衆を束ねる男はしっかりと色分けを行っていた。
儀礼を遵守する感情が剥き出しとなった満座の拍手の中、
堀田甚助が本間修一郎に近付く。
「お帰りの手順でございまする」
数枚の紙片には表向きの事柄と裏側の事柄が併記されている。
「うん、わかった。こんでええで」
商売組は五百程か。案外少ないな。
必ずしも上首尾ととは言えない接待が終了したのは
酉の刻半(午後九時)だった。
「元気なこっちゃ」
色街へと繰り出していく弥四郎や酒場へと流れていく権八を眺めつつ、
予定より早く接待が終了した修一郎自身は借り上げている自宅へと戻る。
「お帰りなさいませ」
疲れの色を見せずに笑顔を見せるのは紅屋の女主人だった。
「与兵衛様と申される御仁は行儀の宜しい御方の様ですわね」
膝枕の上で耳掃除に身を委ねている夫の話を聞いた雪香は
自分の見解が耳障りにならない表現で手短な感想を述べた。
「西管家やったら途中退席と不興の小言が添えられるとこや」
燈台の方角に耳を差し向けている修一郎は眠気を抑えながら、
ぽつりと胸中の疑念を洩らす。
「どうにも解らんのは、腹芸が要求される仕事の頭分が
何であないな堅物が選ばれたっちゅうとこやな」
宴席の誘いを断ったのは本心からその手の席を好まない様子だった。
「さあ・・・・・」
耳掻きが捉えた大きい物を懐紙で拭き取った雪香も首を捻る。
「紅屋ってあっちの連中とは付き合いあったんかな」
「直接はございませんが、雅道の方で些かの伝手はございますが・・・」
些か自信無さ気なのは余り太い伝手ではないと言う事なのだろうか。
「まぁ、あの様子やったら少しはかじっとるかも知れんし、
多少なりとも為人が解ればそんでええよ」
「はい・・・」
「気乗りせんみたいやな」
身体の向きを逆にした修一郎が不思議そうに尋ねる。
「・・・赤司屋か」
修一郎が呟いた屋号は紅屋とは商売敵に当たる丸崎方面の大店だった。
「ほなええよ。社中や長瀬の連中にでも探らせてみよっか」
前者は商圏拡大の為に、後者は確かな伝手を所有しているだろうから,
然るべき代償を支払えば話に乗ってくるだろう。
「いえ、そう言う事ではなく・・・・」
雪香は耳元に口を当てて不満気に囁く。
「今は夫婦としての会話がしとうございます」
「えっ・・あ、あぁ・・・まあ、そやね」
意図を察した修一郎はお努めに精進すべく、身体を起こした。
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