修一郎が心の奥底に抱え込む劣等感を吐き出していた頃、
彼の去った地では難儀な問題が起きていた。
その契機に黒一天は何等の関与はしていないし、
当然、事件に関して責任を負う事もなかった。
問題だったのは政争の犠牲になったのが
黒一天の監軍使の実家だった事である。
平左こと北宇智平左衛門光勝の実家は
姫島の政界では関中に多大な利害を啓陽衆に属し、
まずまずの中堅士大夫としてその名を知られていた。
しかしかながら江北遠征の無残な失敗によって
御多分に漏れず、多大な損失と補填の為に
借財を重ねていたのが今回の御家騒動の導火線となった。
「うぬぬっ」
平左の端正な顔立ちに年輪と風格が調和した
中年男が逞しい口髭を振るわせている。
「この様な申し出、到底受け入れられぬわ!」
眼前に正座するふくよかな顔立ちに
邪な欲望を汚れた瞳に映し出した男に怒号する。
「とは申されましても手前共も慈悲と言う訳には参りませぬ物で・・・」
慇懃無礼の見本の様な口調で現実を再認識させる。
「今月の利子が払えぬとあらば、こちらとしても何等かの質を抑えねば
小生の金主達に申し訳がたちませぬ」
「だからと申して娘を・・・・・娘を差し出せとはなんたる言い草じゃ」
我々の世界でもよくある話が姫島の準一等地で展開されていた。
「・・・・・・そんで激激したおやっさん、手ぇ出したんか」
『無礼打ち』自体は別に大した問題ではない。
欲を書いた二流の投機家共が難癖つけられて全財産どころか、
命さえ失うのは宗洋島でも珍しい訳ではない。
「ま、勘定奉行と公事奉行も手の込んだ芝居を見立てよるっちゅう事か」
「はっ、背後の金主に名を連ねたのが彼等の縁者だった訳です」
事態は単なる金策から啓陽衆と蘭督衆の長年の抗争を再燃させる
一大事へと発展していた。
この事態を戦奉行は如何にお考えか?」
五奉行会議はいつもの様に沸騰している。
但し、今回は啓陽衆の旗色は極めて悪い。
「うぬ・・・・したが、北宇智にも士大夫の意地と言うものがござろう。
商人風情からの屈辱を返さねば御館様への奉公を勤まらぬ」
「ほう、では小生共の面子はどうされるつもりかの?
儂の縁者である京三郎とて、士大夫じゃからのう」
勘定奉行は遠慮なく、切り札で追い詰めていく。
「ぐぬっ・・・・・」
「まぁここはどうじゃろう。手打ちと言う事で」
仲介者の振りをしている公事奉行が内心のほくそ笑いを隠しながら、
『妥協案』を提示する。
「北宇智殿には無期限の閉門蟄居を申しつけた上で、
一家の私有財産は全て没収、その代わりに軍役を免除、
借財も徳政棒引きと言う辺りでどうかの」
「・・・・・・・・・・」
即答はできない。これは要するに『北宇智家断絶』を意味していた。
同朋を守れない旗頭の権威低下は姫島政争劇場においては致命的である。
「どうでごさろう。今の案を『内意』と言う形で
北宇智殿とやらに示してみては」
丸崎奉行が暗黙の合意による役割分担に従って話を纏めにかかる。
「彼の御仁の累系には手を下さねばようござろう」
普請奉行が駄目を押す。
今回に関しては『戦奉行の発言権を低下させる』事で
他の四奉行の見解が一致している。
全く、蛮地での小さな武功に舞い上がりおって。迷惑な事じゃ
「・・・・・父は作法通りに首筋を掻っ捌き、意地を貫いたと言う事です」
眼前の平左の顔色は暗く、目は不眠で血走っている。
「そうか」
修一郎は素っ気無く頷いた。
「しばらく謹慎しとけ」
今、平左を表に出せば如何なる不測の事態に出くわすか予想できない。
本来ならば『喪に服せ』と言いたいがその表現は出来ない。
「忝く存じます」
深く、そして静かに頭を下げた平左はそのまま二ヶ月に渡り、
一室に篭って人前に姿を見せなかった。
「はてさて、誰にした者か」
楽しい夕食の席は『新婚さん』らしからぬ重い空気が蔓延している。
「折角、和馬殿が後はは署名するだけの所までこぎつけたくれたのになぁ」
大零山襲撃成功以来の課題であった
洛安との繋ぎは『黄海社中』一同の粘り強い交渉の末に
『名義の使用』が現実化しつつある所まできていた。
だが問題は修一郎の身分では直接の交渉締結が不可能と言う点にある。
郷士と言う立場では伝統と格式を誇る士大夫達との調印なぞ
紙の上では成立しても世間が認めない。
そこで『介添え人』としてどこぞの士大夫が必要であり、
猫背の青年は当初その役割を平左に依頼していた。
一番頭にして監軍使も異存はなかったが
今回の件でその話は白紙に戻さざるを得ない。
「恵有様では不服でございますか」
黄海で取れた大魚を捌いて、微妙な味付けを施した白身を
食べ易い大きさに切り取っていた雪香が控え目に尋ねる。
「うーん、坊主殿しか俺の留守を守れる奴がおらん。
平九郎は貫禄不足、豊五は火種を拡大するだけ、
権八は鹿浜の守備に置いとかにゃならん。
弥四郎も訓練に忙しいからなぁ」
修一郎が渋そうな表情に相応しい声でぼやく。
この時期だけでなく一癖も二癖もある連中を束ねられる
留守役は僧形の補佐役以外、存在しない。
「士大夫様と言えば」
雪香が何気に話題を他に移す。
「『群青鮫』の御客様が如何でしょうか?」
「うん、大筋の所は纏まったんやがどうも向こうも物入りがあったらしい」
各地の地場勢力が強く、中々統制が行き届かない東管家では
西管家とは違った意味での綱渡り運営が続いている。
「山東との何時もの『お公家はん』との利権絡みで今の所は袖が振れんのやと。
そやさかいに交渉はもうちょっと待っとてくれやとさ」
東管家の主敵は関中の利益を争う修一郎の親玉なのだが、
その他にも国境に位置する総州を巡って暗闘を重ねている
元落魄れ公家が後方から火を煽って巧みに諸事の揉め事に介入していた。
「どこも目先の金目当てに戦争するさかいに御手元不如意が続いとる。
もうちょっと頭を使わんのかな」
戦には金が要る。なのにどうも上の連中はその事には無頓着である。
「士大夫様は、名誉のみが大切なのでございましょう」
商売上、西管家のみならず各地の上層部との繋がりのある
紅屋は虚栄に満ちた彼等の言動を具に観察出来る。
「逆に言えば意地と虚栄心さえ貫けばええっちゅうことか」
新妻との何気ない会話からふとある考えが思い浮かぶ。
「え、ええ」
特徴のない顔立ちを印象付ける瞳の輝きに『知性』の輝きが浮かび始める。
そんな様子を雪香は不思議そうに眺めていた。
関中と北陸を境づけている豪雪と凍土の氷解によって
大量の濁水が流れ込む緑江とは違い、
南部に位置する宣河の水量は三月下旬のこの時期は穏やかなものだった。
尤もこの大河は七月から九月にかけては
度々、台風による氾濫で周辺地域に深刻な被害をもたらすのだが。
そんな河を眺める西本十兵衛の容貌は捕虜らしからぬ明るさが見て取れた。
「いやはや、敗残の身で上洛が出来るとは嬉しいものよ」
昨年の暮れに『郷士風情』に捕虜に取られて以来、
洋駿の一角に『平民並み』の扱いによる
虜囚生活を余儀なくされていた男は望外の名誉であった。
『慶督の乱』以降は実質的な統治能力を失い、
名目だけの存在に成り下がっているとはいえ、
宗洋島一の大都市であり、『国王陛下』がおわす
洛安に出向けるのは士大夫とは言え、
関東管領からみて重臣の陪臣に過ぎない
彼に取っては『家門の誉れ』である。
「本間殿も中々に気が効く御仁よ」
当然、この様な厚遇をしてくれる相手への好感度も上がる。
「やはり、一家を成すと世間を見る目も穏やかになられる」
この台詞が独り言の範疇内だった事は
双方の心証形成に良い方向に役立った。
修一郎が彼を重大な会談が待ち受けている
上洛に『金も手間も掛かる』捕虜を連れて行くのは
黒一天の内部事情が大きく関っていたからであり、
別に十兵衛に敬意を持っている訳ではない。
「中々の奇手ですな」
恵有は眼を丸くして驚いたが反対はしなかった。
捕虜として取っている群青鮫の監軍使を『客人』として洛安に連れていく。
諸費用が黒一天持ちなら長谷川家の方にも異存はない。
突拍子もない手段だが別に悪い手と言う訳でもない。
「ま、金食い虫にも少しは働いて貰わんとな」
苦渋の案を出した修一郎は苦笑を浮かべている。
「まぁ、長谷川家の監軍使ならば貫目は充分かと」
先方との期日が迫っていた事もあってあっさりと合意した首脳二人だが、
この決断がもたらす想像外の結果など予想も出来る訳もなかった。
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