「こちらでございます」
上品な雰囲気を漂わす40代手前の女性が
総髪を後ろに纏めた鼻梁の高い男性を応接間へと迎え入れる。
「御邪魔致す」
黄海社中頭領は一礼して案内に従う。
程なく和馬の眼に洋駿の経済と社交文化を先導する
店主の趣味の良さが映し出される。
塵一つない掃き清められた清潔感溢れる廊下。
濃緑から薄紅へと衣を代えつつある木の葉が美しい中庭。
空間の均衡を崩さない様に考え抜かれた
高度な調度品が並ぶ障子が開け放たれた応接間。
初秋から中秋に入りかかる時節の昼下がり、
暖かさと涼しさの双方が感じられる日光が降り注ぐ光景は
訪問者に縁遠い風雅の心を呼び起こしていた。
主が来るまでの間、和馬は店主の洗練された感覚と
『従者』と言われても仕方のない
彼女の旦那の無粋振りを脳裏に思い浮かべていた。
−ま、異なる色彩を持つもの同士が惹かれ合うっちゅうのは
よくある話じゃがこいつはちぃーと極端過ぎるぜよ−
何を考えているのか判らない無表情な猫背の青年と、
洋駿の経済と社交文化を先導する遣り手にして清楚な美人。
この組み合わせを想像出来る人物が存在するとは、
黄海社中頭領には想像出来なかった。
「お待たせ致しました」
鈴の様な音色が人間の言語となって室内に響く。
「いや、これはこれは」
無論、和馬と雪香は修一郎を通じて何度か対面しているし、
言葉を交わした事も有る。
だが切れ長の瞼から黒曜石を連想させる美の輝きを発している瞳。
白粉が不要に思える程の透き通った白皙の肌。
繊細な技巧が施された髪止めが見栄え良く纏まっている豊かな黒い長髪。
絵画の良き手本となれる程に整った顔立ちと均衡のとれた肢体。
その容姿は努力だけではどうやっても到達できない
『美』の存在を和馬に連想させた。
−これが修一郎殿の様な逢引ならええんじゃが−
彼等が話し合う内容は僧形の補佐役が天魔降伏の心境で編み出した
生臭い謀略を実現化させる手立てについてだった。
敷居際で丁寧にお辞儀を交わすと、背筋を伸ばしたままで立ち上がる。
小股に足を運ぶ速度は早くもなく遅くもなく、
それでいてせかせかとした感じは受けない。
盟友の奥方が対面には座らずに障子の間際まで歩を進めるまで
黄海社中頭領でさえ流れる様な美しい挙措に見惚れていた。
「ち、ちぃーと待ちぃや」
和馬の口から思わず出身地の方言が出る程に雪香の行動は虚を衝いていた。
「如何なされました?」
「いや、障子を閉めると言うのは・・・・」
後の言葉を言い淀んだのは不倫を連想させる語句だった訳ではない。
対等、と言うよりは各上の相手に対してその立場を尊重しない
語句を発する訳にはいかないのである。
「あら、和馬様は礼儀正しい方ですわね」
この当時の宗洋には『紳士』と言う単語は存在しない。
「私が障子を閉めた部屋で男性の方と二人きりになったのは、
幼少の頃より習い事の関係でいくらでもございますわ」
「は・はぁ」
「中には七歳か八歳の幼女に色目を使われる方もいらっしゃいましたが、
幸いにもそういった『間違い』は起こりませんでしたわ」
懐中の短剣と強い意志を写した瞳は卑劣漢の情欲を沈静させるに充分だった。
「そいつは災難でしたのう。
ですがやっぱり障子は開けとった方がええですわ。
ここなら声や情報が洩れる事はないですやろし、
儂ぁ、この趣味の良い庭の気色を眺めながら話を進めたいがか」
これは和馬の本心である。
「主人が聞けば喜びますわ。庭の配置は主人の発案ですのよ」
礼法の見本の様な綺麗な座り方を披露した雪香は率直な感情を笑顔に見せる。
「な・何と」
あの無表情な猫背の青年に風流を解する心情があるとは。
和馬は驚愕を隠し切れない。
「いや、紅雪様の旦那殿は風采は上がるとはよう言えんが、
単純ならざる面白き御方じゃ」
「ええ、その通りですわ。」
心からの同意を示しながら、紅屋は脇に置いていた包みを解き始める。
「それでは仕事の話を始めましょうか」
「そうですな」
和馬も自らの資料を懐中から取り出した。
「ならば米は二度に分けて買い占めた方がええですきに」
「そうですね。一度目は高騰分として。二度目は暴落後と言う事で」
障子を締め切った応接間では実務的な雰囲気が充満している。
「じゃとすると、保存をどうするかが肝要じゃと思いますがの」
「半分は姫島の救済に充てた方が宜しいかと思います。
このままですと主人も先日の様に要らぬ足を引っ張られるでしょうから」
実家からの報告で西管家の衰退振りを知っている雪香は、
女性らしい博愛心と言うよりも
夫の不安材料を一つでも取り除こうと考えている。
「その方角からじゃと足がつく可能性ありますがの」
「無いとは申しませんが姫島の方々は上だけしか注目しておりません。
最近の主人への無心もあくまで自らの安心が脅かされたからであって、
下々の事など彼等にはどうでも宜しいのです」
紅屋の女主人は修一郎が士大夫批判を行う際と同種の笑顔を見せる。
元々彼女の実家は士大夫の出ではない。
『士大夫に非ずんば人に有らず』的な風潮の強い西管家において、
『紅屋』の屋号を得られたのは先代の西管家が仕掛けた
陰険な謀略の汚れ役と尻拭い役を引き受けた事実に拠る。
そんな公に出来ない功績に対して
人々が取る態度は表の恭々しい態度と陰での罵詈雑言であり、
面従腹背の態度は並み外れた感受性を持つ雪香に
何時しか冷めた目で士大夫の存在を観察させていた。
「博方の方々も最近は風雅の道に御執心の様子ですから、
私の方からお茶なり歌の詠み合わせにでも誘ってみれば
良きお話も出来ると思います」
複数の教養が必要な雅道は河南では然程に流行らず、
寧ろ茶道・歌道・花道と言った感じに各分野に別れての愛好者が増えていた。
勿論、数寄者として名を馳せる『紅雪』の出番は多く、
既に彼女は博方非主流派とは何度かの会見も果たしている。
「紅雪様ぁ、中々に手回しの良き御方じゃき」
文化の香り漂う台詞が提携先に応分の仕事を果たす様にとの
要請と勘付いた和馬は自らの手立てを明かし始めた。
「紅雪様の方が士大夫なりその周辺の方々を商いの対象にしとりますれば、
儂等の黄海社中は下々が商いの対象ですきに、
その辺りから攻めようかと考えちょります」
「と、申しますと」
「戦の手立てっちゅうんは士大夫の頭数に応じて、
各所から掻き集めた兵卒達を割り当てるのが普通のやり方ですきに。
従って先頃の戦で騎士の頭数が足りん羽戸川にゃ、
たぶついとる兵卒が結構おりますきに」
戦の手立てなり動員方法など知る訳のない女性に対して、
和馬はこの時代の基本的な知識の説明から始める。
「彼等を黒一天の方に手懐けるのですか?」
ツボを抑えた返答は黄海社中頭領の口端に笑みを浮かばせる。
「まぁ、基本はそうですが儂としては
もう一捻り入れてみようかと思うちょります。
ちゅうのも黒一天はどちらかと言えば質で勝負にする性質の
戦闘集団じゃきに頭数を増やし過ぎんのもどうかと考えておりますきに」
瞬間、雪香も口端を綻ばせる。
「主人が聞けばさぞ喜びますわ。
『俺以外にも判っとる奴がおるんか』って」
夫の抑揚を上手に真似る様は
雪香に取っては最大限の『笑い』であろう。
その事を察した和馬は豪快な笑いを発する。
「いや、紅雪様ぁなかなか面白き御方じゃ」
「ありがとうございます」
微かに紅潮している頬が内心の不安を現している。
「旦那殿は戦も政治もなかなかのやり様を見せちょりますが、
最大の戦果は紅雪様を射止めた事かも知れませぬの」
「あら、私も人生最大の戦果が主人だと思っております」
「・・・・いや、これは一本取られたきに」
衒いもなく言ってのけるのろけの前に和馬は苦笑するしかなかった。
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