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知られざる英雄

    バイバルス

 

 高校世界史の教科書には幾人もの英雄がとりあげられたが、そこでとりあげられることのない男が彼、バイバルスであった。私が初めて知ったのはコーエーのゲーム「蒼き狼と白き牝鹿W・チンギスハーン」の攻略本を立ち読みしたときであった。そのゲームのシナリオ2つまり、フビライの治世のころエジプトで勢力を張っているのが彼であった。攻略本で最強の人物(ゲーム的な能力で)は誰かというときにぶつかったのがきっかけである。マムルーク朝というものは知っていた。マムルークは戦闘用のトルコ人奴隷であるということも。しかし、バイバルスは知らなかった。モンゴルと同じ時代をすごし、そのモンゴルと争った者を。そしてエジプトに繁栄をもたらし、イスラム世界を守った英雄を。

  イスラムの英雄というと、ついサラディンを思い出してしまう。だが、バイバルスもそれに負けず劣らずの人物である。いやむしろ、彼はサラディンのできなかったことを成し遂げたといってよい。バイバルスは、黒海北方のキプチャク草原のクマン族の出身である。1242年、十数歳のときにモンゴル軍の襲撃をうける。この年はバトゥ率いるモンゴル軍とヨーロッパ勢が戦ったワールシュタットの戦いの翌年である。襲撃をうけた彼は捕虜となり奴隷商人に売り渡されることになる。バイバルスは長身で色が黒く、眼は青かったという。しかし、彼には買い手がなかなかつかなかった。それは肌が褐色であったり眼に白い斑点があるからなどの理由による。その後、アイユーブ朝のアミールであるアイダキーン・アルブンドクダーリーに買われ、奴隷身分から開放されマムルークとなる。マムルークは奴隷ではあるが、軍隊に採用されると領地であるイクターが与えられ奴隷から解放される。そして、ゆくゆくは軍隊を指揮するアミールに抜擢されることになる。

 実はバイバルスに買い手がついたことは、彼がクマン族の出身であったことが大きい。アイユーブ朝スルタン・サーリフはモンゴルの脅威にそなえクマン族を自分のマムルーク軍団の中枢としていた。なぜなら、クマン族はモンゴルに対する恨みが強くまた、優秀な騎兵となる素質をもっていたからである(遊牧民ということね)。

 バイバルスは主人にしたがってカイロにいったが、スルタン・サーリフはアイダキーンの財産を没収し、バイバルスもサーリフのものになってしまう。サーリフはバイバルスを自分のマムルーク軍団(バフリー・マムルークという。「海のマムルーク」の意。由来は彼らの兵舎がナイル川にうかぶローダ島にあり、カイロの民衆はナイル川のことを海「バフル」とよんでいたことに由来する。)に編入し、自分の衣装係に抜擢する。これはバイバルスの将来性に目をつけてのことである。

 彼の軍人としての活躍はルイ九世率いる十字軍がナイルの河口の町・ダミエッタを占領したときである。このとき、バフリー・マムルークの隊長、アクターイが不在であったため彼が指揮をとった。このとき、バイバルスは二十歳をすこしでたばかりであった。翌年、ダミエッタからマンスーラへと進軍してきた十字軍であったが、このときスルタンのサーリフは病気で倒れエジプト軍の統一は失われていた。ちなみにこの戦いのときサーリフはすでに病没していたが、妻のシャジャル・アッドゥルは軍団の士気がさがるのを恐れて、サーリフの死をかくしそのサインを真似てかいたという。さて、このようなエジプトのピンチをすくったのはスルタン子飼のバフリー・マムルーク軍団の奮闘によってすくわれた。市街地で十字軍を包囲し敵を狭い路地へとおいこみ、逃亡者の多くは河におちて絶命した。ルイ王自身も捕虜になってしまった。バイバルスはこのとき一部隊を指揮し勇敢に奮戦した。

 サーリフなきあとサーリフの約束どうりにトゥランシャーが新スルタンになった。しかし、彼は継母であるシャジャルに行為をいだかず、バフリー・マムルーク出身のアミールを投獄し、その勢力をけずった。マムルーク軍団はこれに対してスルタン暗殺計画を実行し、スルタンを暗殺。そして、ジャジャルをスルタンへと推戴する。ここにアイユーブ朝が終焉し、マムルーク政権が成立することになる。ジャジャルはイスラム世界最初の女性スルタンであるがために、諸外国に波紋をまきおこした。このような情勢を察し、ジャジャルはバフリー・マムルーク出身の軍司令官、アイバクと結婚し、アイバクは第二代のスルタンになる。このマムルーク政権の誕生に対してアラブ遊牧民(ウルバーン)の反乱がおこることになる。マムルークは「よそ者の奴隷」であるからだ。これに対してアイバクはバフリー・マムルークのアクターイに5000騎をあたえこの反乱を鎮圧させた。

 アイバクはかつての仲間であるバフリー・マムルークの勢力拡大をおそれ、子飼のマムルーク・クトズを使い軍団長のアクターイを殺害。バイバルスらは身の危険を感じカイロから脱出。バイバルスの放浪時代のはじまりである。始めはシリアの君主・ナースィルのもとに身をよせるも疎んじられ、カラクの城主・ムギースのもとに身をよせ、自らエジプト軍と戦うもやぶれてムギースにも疎んじられることになる。しかし、彼はこような苦しい状況でも仲間を見捨てることはなかった。これがマムルーク軍の団結を支えたのだ。

 1259年。第四代スルタンとなったクトズはバイバルスと和解し、カイロへまねきいれた。七年にわたる放浪生活はここに終焉した。このころ情勢はモンゴルのフラグがバグダートを陥落させ、イスラム世界は窮地におちいっていた。フラグはエジプトに降伏の使者を送るもクトズはこれを処刑。エジプトはモンゴルとの戦闘へ突入。先遣隊を率いたバイバルスは幸先よくガザからモンゴル軍を駆逐した。1160年、ヨルダン川西方のアインジャルートで主力同士の戦闘がはじまった。主力といってもフラグの部下・キトブカ率いるモンゴル軍の数はさほど多くなく、エジプト軍のほうが多く、また、バイバルス率いる精強なバフリー・マムルーク軍団がいた。バイバルスはモンゴルの戦い方を研究し、とりいれていた。マムルーク軍団は騎兵隊であり、人種もモンゴルと同じである。モンゴルをうちやぶったのは、モンゴルであった。かつてモンゴルが捕虜にし、奴隷商人に売り払った男が成長し、モンゴルの前にたちはだかりモンゴルの戦法を用いてそれを打ち破る。なんとも皮肉な話ではないか。

 バイバルスはこの戦いのあとアレッポ地方をイクターとしてもらえるはずであった。それはクトズと戦いの前に約束したことであった。バイバルスにしてみればモンゴルとの最前線の地に居を構えることでモンゴルの逆襲に備えようとしたのだろう。だが、カイロから離れたアレッポの地にモンゴルを打ち破ったこの男が勢力を張るのは危険だとクトズは考えた。バイバルスたちもかつての軍団長・アクターイを殺したのがクトズであることを忘れてはいない。そのせいで、シリアをさまようハメになってしまったのだから。バイバルスらは、先ずんば人を制すでクトズがカイロに戻る前に彼を殺害し、第五代スルタンに就任した。このとき、およそ三十三歳。彼は「勝利の王」(マリク・アッザーヒル)と称した。イスラム世界の危機は回避されたが、エジプトではマムルークによる不正な政治がおこなわれることを恐れていた。 

 バイバルスはこの後、アッバース朝のカリフの叔父のアフマドを迎え擁立する。アッバース朝は軍事力はよわかろうとも、イスラム世界の権威として続いていた。しかし、外部からやってきたモンゴル軍にそんな権威は一切通用せずバグダートは陥落し、アッバース朝は終焉する。カリフはイスラム教の頂点にたつものである。スルタンはカリフよりも俗な権力である。バイバルスはアフマドをともないカイロ市街へでてそこで、アフマドからアッバース家を象徴する黒のターバンと紫のガウンを与えられる。これにより、バイバルスはカリフの代行となり、政権の正当性とイスラム世界のスルタンの立場を手にいれることになる。この後、バイバルスはアフマドに300騎の騎兵をつけバグダートの奪回にむかわすも、モンゴルの襲撃にあいアフマドは死亡する。カリフの威光の大きさは、政権をおびやかすものだと感じたのだろう。次に擁立されたハーキムはカイロ市民との接触は禁じられていた。カリフはスルタンの正当性の保証書でしかなかった。

 バイバルスはバリード(駅伝)網の整備にかかり、駅伝をもうけ地方の情報を集め中央集権体制を整える。ローマもアッピア街道をととのえ、モンゴルもジャムチを築いたが、交通インフラは国の発展に大きな影響をあたえる。また、遊牧民にこのバリードへの馬の提供をもとめアミール位やイクターを与えて体制内にとりこんだりした。

 このように体制をととのえた後、バイバルスは外征をはじめることになる。1265年からシリア海岸に残っていた十字軍都市・カイサーリーヤ、ハイファー、アルフースなどを奪回し破壊(十字軍がつかえないように)。また、内陸部のサファドと騎士の城は重要な戦略拠点のため修理された。さらに、小アルメニア王国の首都・シースを攻略。ビレジクとエルビスタンでモンゴルをうちやぶる。そしてその後、部下達と祝杯をあげるがそこで腹をいためて死亡。馬乳酒ののみすぎとも、毒殺ともいわれる。

 バイバルスは戦闘奴隷のマムルーク出身であるからなんだか、軍事専門だと思いがちだがそうでもない。バリード網の整備などのインフラ整備もあるし、エジプトはこのときに大いに繁栄した。その繁栄にはモンゴルによる東西の交通網の整備があるのだが。また、彼は仇敵であるイル=ハン国(フレグ=ウルス)に対抗するため、キプチャク=ハン国(ジョチ=ウルス)と同盟をむすんだりしている。イル=ハン国とキプチャク=ハン国は領土問題で中が悪いのだ。敵の敵は味方である。モンゴルもマムルークも支配層はたいしてかわらないから、大して不思議はない。また、歴史を好み「歴史に耳を傾けることは体験にまさるものだ」といっていたという。

 ダマスクスにはサラディンの墓とバイバルスの墓がとなりあって建てられているという。サラディンはシリアから十字軍を追っ払うことができなかったが、彼はシリアのラテン国家を根絶やし破壊することができた。また、サラディンは安定した国内体制をのこせなかったが、バイバルスは二百年にわたって続く国家をつくりあげた。また、この頃がエジプトが最も繁栄したときであり、今もエジプトが中東の中心的国家たるゆえんもこのマムルーク朝によるものではにかという人もいる。日本人にはサラディンのほうが有名だが、エジプトではバイバルスのほうが有名(人気がある)ようだ。

 余談ではあるが、バイバルス本人がかかわったかどうかは別として、マムルーク政権に内部での暗殺・殺害がよくみられる。アイユーブ朝君主、アクターイ、クトズ、そしてもしかしたらバイバルス本人も・・・。マムルーク朝は世襲制を認めなかったという。そして、常に権力闘争による殺し合いが行われていた。それはマムルークとしての忌むべき血の宿命なのか? しかしながら、ティムールの時代をへてオスマン帝国に滅ぼされるまでこの国は続くことになる。

●撤収●

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