最盛期という名の始まり
世界史の流れは常に栄光と破滅のサイクルといってもよいだろう。むろん歴史は循環しているものではない。時代が進めばその栄光や破滅の条件もかわってくる。よく世界史の教科書を見ると
「●●の最盛期をつくった」という言葉を目にするだろう。たとえば漢の武帝は匈奴を討伐することで漢の領土ははるか西方にまで及び漢は最盛期を迎えることになる。また、乾隆帝は現在の中国の領土を越える(モンゴルと沿海州を含んでいるため)帝国をつくり清朝は最盛期を迎えることになった。フランスのルイ14世とて「太陽王」の異名をもちフランス絶対王政は最盛期を迎えた・・・。
が、私はこの最盛期とか黄金時代という言葉にふとひっかかるものがある。例えばモンゴル帝国の創始者であるチンギスハーンは一代の英雄でありながらモンゴル帝国はチンギス時代に最盛期を迎えたわけではない。何をいいたいかといえば王朝や組織の最盛期というのは一種の限界をしめしているわけで、それ以後今以上に盛んになることはないということを含んでいるのだ。最盛期の後にくるのは衰退でしかない。
例えばスペインのフェリペ二世をみてみよう。彼のことは日本史の教科書にもでてくる。なぜかといえばローマで信長の派遣した天正少年使節団は彼と遭遇していたからだ。そのときのフェリペは栄光にみちていた。スペインは大航海時代をリードし、日の沈まぬ国と呼ばれるほどに世界中に植民地をもっていた(日の沈まぬ国とは「栄光に満ち溢れた国・自分で思った」という意味なのか「スペインの領土のどこかには日が昇っている・先生がいっていたのかどちらのことなのだろうか? どっちらでもあるともいえるが)。また、植民地とした南米から大量の銀が本国に送られてきておりスペインの経済は潤った。さらに東方の大国でありキリスト教圏共通の敵であったオスマン・トルコの海軍をレパントで粉砕しスペイン艦隊はアルマダ(無敵艦隊)と呼ばれていた。・・・・・・しかし、そのようにスペインの最盛期を迎えた彼だが同時に衰退の始まりを迎えることにもなった。スペインに対するイギリスの挑戦である。イギリスのエリザベス女王は海賊のドレイク達を使ってスペインの銀の輸送船を襲わせたのだ。これに対してスペインはイギリスと戦争を始める。これが世にいうアルマダの海戦である。しかし、結果は大敗。イギリス軍がドレイクの指揮のもと新時代の艦隊戦を展開してきたためである(詳しくは戦術の項でのべたい)。さらに追い討ちをかけるように嵐にあいさんざんな目にあう。さらに、スペインは銀にたよりすぎており国内の産業を発展させるとを怠っていたために経済力も本質的にはたいしたことがなくだんとイギリスに追い抜かれていくことになる。スペインの栄光はバブルみたいなものだったともいえる。
ルイ14世は太陽王という異名をもちフランスの絶対王政は頂点にたっした。が、対外戦争ではほとんどいいとこなしだった。異例のパターンとしてナポレオンもいる。彼の場合は一代限りで全てポシャってしまったのだが・・・。
そう、ヨーロッパ史を勉強して思ったのはフェリペ二世とルイ十四世のありかたである。彼らは立派な異名をもっているがそれほどの人物であったか? フェリペ二世は後半生からすべっている。ルイ十四世も戦争に失敗している。フランスの場合その利益ない対外戦争の結果、王朝の財源はなスッカラカンになっている。彼らの代で王朝自体が駄目になることはなかたっが。
さて、東洋に目をむけてみよう。漢の武帝は先祖がためた財産を使って対外戦争を行った・・・。が、王朝の財源は貧しくなってしまたt。同じく乾隆帝の遠征も王朝の財源に多大なる負担をかけることになった。また、ムガル帝国の最大版図を築いたアウラングゼーブはその反面、諸民族の反乱を招き、人頭税を復活させたりしている。対外戦争には金がかかる。そのためには先祖がたくわえた財源をくいつぶさなければならない、そうでないのならば税収をふやさねばならない。そしてそのツケは子々孫々に渡っていくことになる。
プロイセンにフリードリヒ二世(大王)という男がいた。彼はナポレオンも真似したという優れた戦術理論をもっていた(プロイセンでは大王なきあとその理論は受け継がれなかったようだ)。本来は臆病者だったのだが、オーストリアの王位継承権の問題につけこみ戦争をおこしオーストリアから鉱物資源の豊富なシュレジエンを奪い取っている。さらにその後。オーストリアに復讐戦をもちかけられるがこれをなんとか退ける。その後、彼は戦争をおこすことをしなかった。優れた戦略理論をもちながらである。どんどん領土を拡張したナポレオンとはここらへんが違う。プロイセンはこの後もドイツで一番の雄邦としてさらに飛躍をとげていくことになる。
なんでも自分の力量を考えて物事はやらねばならない。武威を示すのは大切なことかもしれないが自分の状況を考えなければならない。豊富な財源をいかすのはいいがだからといって使いこんではいけないだろう。不測の事態に対応することができなくなってしまう。それを増税で補おうとすると人民の反感をかうことにしかならない。結局のところ立派な指導者は最盛期を導いたものというよりも、そこまで持っていった人々ではにだろうか?乾隆帝がつかいこめるだけの財産を残した康煕帝・雍正帝。彼らは対外討伐を行いながらも十分な金を残しておいた。豊富な財源を使い込めば多数の戦争を行い歴史に名を残すことは簡単である。だが、それは王朝という肉体に栄養剤をうちこんで内部のもてる力(生命維持に必要な力までも)を発揮させるわけで、その後はそのボロボロになった体の建て直しをしなければならない。人物の評価もそのような視点からみることも大切ではないだろうか? 大事業をなした英雄の影には人心の安定と蓄財につとめた堅実な者がいたということを忘れてはならない。そして最盛期は終わりの始まりだというこを。
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