呉の国
私は呉の国が好きである。それでもってこんなことをいきなりいうのもなんだが・・・。
呉の国って地味・・・。
三国志と聞くと魏の曹操と蜀の劉備はでてくる人は多い。だが、呉の孫権とでてくる人は世界史の勉強をしっかりやった人か三国志を知っている人でないとでてこないような気がする・・・。曹操、劉備ときても諸葛亮(こいつが一番有名かも)とか関羽、張飛とでてくるのがせきの山である。三国の最後の国はなんとも知名度が低い。
そもそも赤壁の戦いの勝利はんんだか孔明の活躍によるものだと思われている節がある。確かに孔明はキーマンかもしれない。周ユや孫権を突き動かしたことは少なからず孔明の功績によるものだったであろう。
しかあし!! 赤壁で曹操の船団を焼き討ちにしたのは呉の水軍ではないか!! そう、呉の国は断じて蜀と魏の陰に隠れた国ではないのだ!!
呉の国は長江以南の地を治めている国である。呉の国の起源をみるとき孫堅からはじまったとみるべきだろうか? 孫堅は長沙太守だったはず。長沙は現在の湖南省の省都であり呉の国の領域の西端に位置している。そもそもここはケイ州であり蜀の領域に属していたのを魏と計って奪い取った土地である。つまりもとは呉の領土ではなかったのだ。孫堅が劉表にやられた後、息子の孫策は袁術のところへと身をよせる。親父の残した領土はまったくなかったということであろう。
だが、孫堅は「江東の虎」の異名を持っている。その渾名から推測すれば江東地区にも影響をもっていたのかもしれない。だからこそ孫策はスムーズに江東制覇を成し遂げることができたのかもしれない。
呉の国の起源はさておいて呉の領域を決定するのに活躍したのは孫策である。袁術のところに居候しながらも再起のときを計っていた。そして父から譲り受けた玉璽を袁術にくれてやりそのかわりに兵力をもらって江東の地にくりだしていった。横山光輝『三国志』では確か十一巻くらいだったか、孫策快進撃(記憶が足確かなら)というサブタイトルがついている。江東の地を治める劉ヨウ、厳白虎、王朗といった連中を次々と撃破していくくだりである。ここでは猛将・太史慈と孫策の一騎打ちと、和解、水軍大都督・周ユの登場のエピソードなどがあり非常に面白い。しかし、孫策はしばらくして亡くなってしまい、その後を弟の孫権がつぐことになる。孫権は支配者としての年数は中国史においても屈指のものである。
呉の国は孫権の即位から表舞台から、赤壁の戦いまでしばらく姿を消してしまう。孫策の時代に急成長をとげたので内政の充実をはかる必要があったし、孫権はまだ若かったということもあっただろう。また、孫策が遺言でもいっていたように孫権は領土を広げる才能は孫策に劣っていたが人材運用の面では優れていた。かくゆう孫策も軍事では周ユ、内政では張昭に相談するようにといっていたことから人を見る目はあったといえる。
呉の国で特筆すべきはこの世代交代のスムーズさであろう。孫堅、孫策、孫権。それぞれ個性は違えど覇者としての力量を備えていた。曹操が息子をもつのならば孫堅の子のような息子がよいといっていたことからもその力量を測ることができる。
また、呉の軍師も優れた者達がぞくぞくと就任している。まずは、周ユ。孫策の江東制覇を助け赤壁の戦いにおいて曹操軍を叩きのめした。それにひきつづくケイ州争奪戦では孔明に遅れをとりそのまま、死亡してしまう。そのあとをついだのが魯粛。彼は劉備らと友好関係を保つことを推進した。そして魯粛がみいだしたのが、かつて武力一辺倒だった呂蒙。彼は魯粛の死後、関羽を魏と組んで殲滅することによりケイ州の南半分を手にいれることに成功する。しかし、しばらくして死亡してしまう。その後をついだのが呂蒙によって見出された陸遜。書生あがりの青二才と関羽はなめてかかっていたが、彼に関羽はしてやられたといえるだろう。さらに、劉備が関羽の敵討ちのために出陣したおりも、夷陵において火計でもって撃退した。その後、長期に渡って彼は呉の軍師を勤めることになる。
呉の武人連中は海賊だったものが多い。海賊といっても外洋で暴れる海賊ではなく長江で暴れている海賊なのだが。この長江の海賊軍団は三国時代だけでなく、中国史にはしょっちゅうでてくる。それは江南の地は非常に水路が多く、馬で移動するよりも船で移動するほうが圧倒的に便利だからだ。そのため軍事力も水軍が中心となっていく。海賊集団、つまり水上戦にてなれ船を持っている連中をどれだけ味方につけるかが江南の制覇では重要になってくるのだ。また、モンゴル軍が南宋の攻略に苦戦したことからもわかるように、江南の勢力が強力な水軍を持っている場合、長江はまさに天然の要塞と化す。水上戦に不慣れな北の勢力は長江を渡るのが非常に大変なのだ。
私は呉の武人の中では甘寧が好きである。昔は任侠海賊であり黄祖の部下として孫堅と敵対するも、黄祖を見限り孫権のもとへとやってきた。武人としてただ強いだけでなく、長江の南を制覇(ケイ州、益州を征服する)して北の曹操と対抗するという天下二分を唱えたり、黄祖のもとにいたころ孫堅の部将であった凌操を討ったためその息子・凌統から恨まれるも、彼が張遼と合肥にて一騎打ちをした際、魏軍の凌統を狙った狙撃部隊を弓をもってうちとり彼のピンチを救ったりするところに非常に惹かれる。呉軍は他の国にくらべて武闘派武将が少ないように感じるが甘寧こそは万夫不当の豪傑であろう。
呉の国の優れた武将達は短命のものが多い。孫堅、孫策、周ユ、魯粛、呂蒙、太史慈・・・。何かことをなしたかと思うと死んでしまう。しかし、そのには優れた後継者がちゃんとひかえているのだが。さんごくしの「もしも・・・」小説はほとんどが蜀を扱ったものである。しかし、呉の「もしも」のほうが非常にバラエティに富んでいるのではないだろうか? もし、孫堅が倒れなかったら、もし、孫策が殺されず袁紹と呼応して曹操を攻撃したら、周ユがしななかったら・・・。魯粛が死なずに劉備と友好関係を結んだままだったら・・・。そう思うと非常にワクワクしてくる。それは彼ら一人一人が個性的であるからだろう。呉の国は結局、蜀を呑んだ魏の政権を簒奪した司馬氏の晋によって併呑されてしまう。呉の最後の軍師は孔明の兄貴の息子の諸葛カク。父・諸葛キンは利発すぎて頭でっかちなことを心配していたがその心配は的中してしまう。南下してくる晋軍に対して軍船を連結させ巨大な水上要塞を築くも火計によって壊滅させられてしまう。まさにかつての赤壁の戦いの再現となってしまった。
しかし、呉の国は滅んでもこの国のなしたことは後世へと生きていく。孫権が行った内政や南方の開発により、もともと気候的にも稲作にむいている江南の地は豊かになった。今まで中原こそが中華であったが江南の経済力・文化は馬鹿にできないものになった。晋は北方の騎馬民族集団によって中原を追われ江南の地、かつての呉の地へとにげてくる。いわゆる南朝のはじまりである。この南朝の基礎を築いたのはいうまでもなく孫氏である。その後、江南の地は歴史の重要なポイント(南朝しかり南宋しかり、明の勃興、中華民国の成立など)となっていき、呉の国都・建業は名前をかえつつも江南の中心地として栄え、現在でも南京として南中国の拠点都市となっている。
呉の国は滅ぶもその後世の残した業績と漢(おとこ)達の意志は不滅である。
|
|||
|
|