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始まりの話

 

 小生は歴史が好きである。若き頃より世界史などに興味を抱いていたが、今日のように中国を中心とする東アジア史に関心をもつようになったのは某氏の恩によるところが大きい。それ以前はもっぱら図書館で世界の歴史(マンガです)を乱読ぢていた。当時はかねがなかったのでマンガを買う余裕などはなく、また、歴史のマンガは戦闘シーンが多いので少年マンガチックで面白かった。

 ゆえに第二次世界大戦やモンゴル帝国、ビスマルクによるドイツ統一などに対する評価は高かったものの、ルネサンスや宋の文化の発展にたいする評価は低かった、といよりも関心自体が薄かった。これらの軍事偏重路線は高校になっても変わらなかった。そのため文化史は苦手であった。だがよく考えてみれば文化史なるものほどただの暗記を強要するものはないだろう。最近になって文化に関心をいだくことになったのは杉山氏の著書にふれてモンゴルによって東西の文化が融合したというくだりを読んだときである。あの有名な郭守敬による授受暦もイスラム天文学の力によってできたものを知ったときには感動と興奮をおぼえたものである。高校の教科書にはそういうものが足りない気がする。ちなみに年号もほとんど覚えていない(語呂あわせのものとキリのいい数)。いつの世紀かくらいはだいたいわかっているつもりではあるが。

 さて、東洋史に興味を持つきっかけだが始めは中国へは関心は低かった。確かに悠久の歴史を誇っており、三国志などにみられるようにメジャーなところも多い(三国志といってもそれは三国志演義であって、正史三国志とは異なるのだが・・・)。確かに始皇帝や項羽と劉邦のところは面白かったと思った(学習マンガ時代)が、『李陵』(名作シリーズのマンガ)を読んだがわけがわからなかったという嫌な思い出もあった。友人・某氏にすすめられて小説の三国志をよんだが誰が誰だかわからんくなって「やめたこともあった。正直、三国志がなぜに人気があるかまったくわkらなかった。アニメの三国志は面白いとは思ったが・・・。

 さて、某氏は横山光輝のマンガを買い込んでいた。そして私にもかしてくれた。最初にかしてくれたのは『水滸伝』だったような気がする。これも最初は正直いってつまらんかた。なぜかといえば腕に覚えのある奴がつぎつぎとでてくるが皆、逃亡生活を送るハメになるというのが前半を占めていたからだ。その後、梁山泊に結集するころになるとかなり面白くなってきたのだが(友人も水滸伝はマンガチックなのでかしてくれたようだ)。さらにその後、『隻眼の竜』という武田信玄の軍師で有名(?)な山本勘介が主役であるマンガをかしてくれた。ちなみに勘介はこのマンガではかっこいいが、『武田信玄』の方では太ったキャラになっており、とてもかっこいいとはいえない。

 そしてその後『バビル二世』を貸してくれた。バビル二世は横山作品であるが歴史とは全く関係ない。ただしこれを借りるにあたって『項羽と劉邦』を半分までかりていかないといけないという条件つきだった。まあ、項羽と劉邦ならいいかと思ってもって返って読破。韓信という今まで知らなかった名将の存在に驚き続きがよみたくなって残りの半分をかりにいった。そしたら今度は三国志をつけるといったのだ。私は三国志をよむつもりはなかったので拒否したが一巻だけということで借りていった。まあ、よまんけりゃいいやと思っていた。そして実際読むことはなかった。というか最初のほうをちょっと読んだのだがたいして面白くなかった(劉備がお茶を買うところ)。しあkし、ある時、弟が読みおえていたのを見て。

「面白い?」

と聞くと、

「そこそこ」

とかいっていたので全部読んでみた。

(お、面白い・・・)

導入部だけではよくわからなかったが関羽や張飛との出会いなど面白いではないか。しかも、これから黄巾賊を退治するというところで終わっているではないか・・・。ということで即日友人宅から三国志を10巻ほどまでかりていき、さらに後日全巻かりていった。

 そこから全てが始まった。友人の勧めで三国志や項羽記といったゲームをプレイ。それによって人物の名前を覚える。さらに「if三国志」小説をかしてくれたので次々と読破。また、李陵のマンガを再び読んで今度は感動。つまり、義や忠といった概念を三国志などを通じて理解してきていたために(まあ、自分自身の経験というか成長によるところもあるが)感動にいたったわけだ・・・。そしてその後はコーエーのゲーム、高校世界史の授業などで新しい知識をしいれ、そこから本などを借りてよむようになり今日にいたる。思えばコーエーとの出会いもその友人によるものだったな。

 人生では多くの人に出逢う。だが、その人生に影響を与える人に何人あえるだろうか。彼は私にとってまさにそういう人間だったと思う。このコンテンツやこのページ(とくにリンク)の存在さえも、彼の行為の波及にほかならないのだから。

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