黙殺されし英雄 |
中学校の授業に歴史の授業がある。いちおう、世界史的観点から行なわれているものの、内容の半分は日本史である。さらに、この授業は「地理・歴史」というカテゴリなので、一年のうち半分は地理の授業が行なわれいるので、世界史のウエイトは非常に小さい。中学校の中東の歴史にウエイトを置いてくれというのは、無理な話だろう。
高校生になると、今度は歴史の授業が二年間おこなわれる。しかも、日本史・世界史のどちらかを選択できるようになっている。世界史を専攻すれば、日本史を除く世界史の授業が展開される。中学校のときにロクにスポットを浴びていなかったところに光がさしこむ。
中東の歴史・・・。ここにも光がさしこんでくる。古くはメソポタミアからはじまり、アレクサンダー大王の遠征・・・。そして、イスラム教の誕生である。イスラム教によって誕生したアラブ帝国によるイスラム世界の拡大。イスラム教世界は中東地域だけでなくヨーロッパにも進出し、スペイン・ポルトガルの地はイスラムの波に飲まれる。トルコの付根のやや南方、現在も争いの絶えないエルサレムの地もイスラム教徒の手におさまることになる・・・。
イスラエル・・・。これほど厄介な土地が他にあるだろうか・・・。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三つの宗教の聖地・・・。ゆえにキリスト教諸国であるヨーロッパ諸国は十字軍を編成し、この地の奪還にかかり、見事に聖地を奪い返す。この頃にはイスラム世界はかつてのような一体感は薄れ、分裂の傾向にあった。しかし、ヨーロッパ諸国が連合してくるのならば、こちらも連合するまでのこと・・・。イスラムの英雄・サラディンが聖地エルサレムを再びとりかえす。
ヨーロッパ諸国はこれに対し、十字軍をおこす(第三回十字軍)。しかし、サラディンとイギリス国王リチャード一世の間で講和がもたれ、両教徒の巡礼の安全を守るということで終息に至った。
十字軍の編成はこの後も続き、結局第七回まで行なわれる(ウムヤムのうちに終わってしまったり、ビザンツ帝国の首都を占領した十字軍というのもあるが)。
世界史の教科書で扱われるのは、恐らく第一回十字軍、第三回十字軍、ビザンツ帝国の首都・コンスタンティノープルを占領した第四回、そして参考までに最後の第七回十字軍があったというところではなかったかと思う。
バイバルスは十字軍と戦った。彼の対戦した十字軍は第六回の十字軍である。ルイ九世に率いられたこの軍団は、エジプトの目前まで迫ったものの、マムルーク軍団によって撃退される。そして、スルタンになったバイバルスは、今までの十字軍がつくっていったシリアにある拠点をことごとく滅ぼしていった(拠点を全て滅ぼすに至ったのは第八代スルタンにして、バイバルスの後継者ともいえるカラーウーンの時代)。しかし、このバイバルスのエピソードが語られることはない・・・。
世界史の授業において、中国史は大きなウエイトをしめている。中国には連綿と歴史書がつづられており、日本でもその研究はさかんである。よって、中国史は体系的に授業にとりあげられている。中国史の一時代としてモンゴルによる元朝の成立がある。だが、元朝の成立を紹介する前に、モンゴル帝国の成立というトピックスがある。ここで、モンゴル帝国の成立とその拡大を学習し、やがてモンゴルが中国を飲み込んでいく過程が描かれる。
イスラム世界は、モンゴルの侵攻によって、ピンチを迎えていた。中央アジアにあったホラズム王朝はチンギスハンによって滅ぼされ、バグダットに都をおくアッバース朝もフラグによって破壊されつくしてしまう。いよいよ、シリア・エジプトにむけてモンゴルが侵攻してきたのだ。そして、いよいよモンゴルはシリアに侵入するのだが、このころエジプトではマムルークによる政権が樹立し、モンゴル帝国を迎え撃つ(アイン・ジャルートの戦い)。バイバルスらマムルーク軍団はこの戦いに勝利する。
だが、世界史の授業ではこのアインジャルートの戦いは黙殺されているのだ。バトゥのヨーロッパ遠征におけるワールシュタットの戦いは重要事項として紹介されているのに・・・。フラグによるイスラム世界の侵略は、アッバース朝を滅ぼして終了しましたくらいの書き方になっている。
十字軍とモンゴルの侵入・・・。この2つの脅威からエジプト・シリアを守るために奮闘したマムルーク・・・そしてバイバルス。なぜ、世界史の教科書に登場しないのか?
これについて私なりに色々考えてみた。サラディンは可で、なぜバイバルスは不可なのか・・・。それは、バイバルスがやりすぎたのが原因ではないだろうか?
サラディンの場合、一度、エルサレムを取り返したものの、最終的には十字軍と和解という形をとることになる。まあ、和解に至った第三回十字軍を率いていたのは獅子心王(ライオンハーテッドキング)の異名をもつイギリス国王リチャード一世や尊厳王の異名をもつイギリス国王・フィリップ一世なのですから、サラディンの名誉を称えるだけでなく、リチャードらの名声を高めるエピソードともいえるわけで。
中東の歴史とは、どういう経緯で日本に伝えられているのだろう? 中国史の場合、地理的に隣接しているということもあり、歴史史料等は直接、中国から流れ込んできている。しかし、中東の歴史の場合は、恐らく中東をかつて植民地していたヨーロッパ諸国の手を仲介して日本にきているのではないだろうか? 中東の歴史において十字軍とかかわりがあるところの歴史教科書の製作には、何か意図的なものを感じる。もし、中東から直接、きているとすれば、サラディンが紹介されてバイバルスが紹介されないというのおかしいのではないか。
第一回十字軍による、聖地の奪回。第三回十字軍による、エルサレムにおけるイスラム・キリスト両教徒の巡礼の自由という和解。第四回はビザンツ帝国に対する攻撃というキリスト教世界における話。この三つをみれば、「十字軍」の「イスラム教徒」に対する「敗北」というニュアンスは弱い。結局、十字軍政策は失敗したという結論になるのだが、わざわざ敗北の歴史を連ねるようなことはせず、政策としては失敗したが十字軍は一定の戦果をあげたということになる。
ゆえに、サラディンに関しては「第三回十字軍における和解」というポイントのために歴史教科書に登場することができたのではないか。第二回十字軍に対する勝利というのは、ウムヤムにされて黙殺されている。ただ、エルサレムを彼が奪回したというのは、「第三回十字軍における和解」というエピソードを語る上では必要不可欠なので紹介されているのだろう。
では、バイバルスはどうか。彼はまずルイ九世率いる十字軍を撃退してしまった。このころ、彼はまだ国家の指導者ではなかったのだが、ヨーロッパにしてみれば敗北しただけの十字軍の歴史を宣伝する必要はない。さらにバイバルスはシリアにある十字軍の根城を根絶やしにする直前のところまでいった男である。バイバルスは「十字軍を滅ぼした男」である。黙殺するにこしたことはない。
モンゴルの歴史の学習の過程においても、バイバルスは登場しない。モンゴルの歴史といっても、おそらくデータとして使われているのは中国の歴史書である『元朝秘史』や『元史』といったものであろう。イルハン国でつくられた『集史』を参照しているとは考えにくい。
結局、モンゴルの歴史といいつつも東方にウエイトがおかれ、モンゴルはアッバース朝を滅ぼして西方への征服は一段落したという形におさまっている。その後、モンゴル帝国の歴史というよりは、元の歴史を学習していく。オゴタイハン国、キプチャクハン国、チャガタイハン国、イルハン国の歴史はとくにかたられることなく、次に登場するのは「チャガタイハン国、イルハン国はティムールによって征服された」という国の消滅のエピソードである。
当時の自分はバトゥもワールシュタットでその歩みをとめ、キプチャクハン国も西方へ進出しようとしなかったように、フラグもバグダットをおとして西へ進むのをやめただけだと思いっていた。しかし、モンゴル軍はマムルーク軍団に敗れたのである。
以上、なぜバイバルスが教科書で扱われないかを自分なりに考察してみた。『史学雑誌』には「回顧と展望」という特集コーナーがあり、一年間にでた歴史論文の目録がある。中国史をみてると、時代ごとに区分され各時代の事柄について沢山の論文がでていることがわかる。翻って中東はどうかというと、中東史という大きなカテゴリで括られていて、論文も数本しかない、年によっては「今年は特にありませんでした」くらいのコメントが載っているときもある。
結局、日本では中東の歴史というジャンルはあるが、研究者が少なくマイナーで、文部科学省もたいして重要視しておらず、教科書でも適当に扱っているだけなのだろう。ゲームソフト「チンギスハーン」の攻略本に、英雄対談のコーナーがあり、そこにはリチャード一世、チンギスハン、サラディン、フィリップ二世(確かいたような・・・)、源頼朝が登場するのだが、頼朝はリチャードに世界史から見ると頼朝はマイナーといわれたのに対して「日本ではサラディンより有名」といっている。わざわざサラディンをひきあいにだしているのだが、これでは、このメンツの中で日本人に一番馴染みがないのはサラディンであるといっているようなものではないか・・・。まあ、恐らくこれが現実だろう。
今にはじまったことではないが中東は激しく燃えている。サッダーム・フセインが正義とは思わないが、中東に軍事的に介入するアメリカが正義とはいえない。今こそ、中東を考えるときではないか? 西洋経由の中東史ではなく中東経由の中東史を掲載すべきではないか? 『Gガンダム』というアニメには『東方不敗・マスターアジア』というキャラがいたが、『中東不敗・マスター・ジハード』とか登場するアニメはできないものか・・・。
なんか話がズレてしまったが、バイバルスは歴史教科書に登場するだけの実力をもちながら、黙殺された英雄ということである。
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