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バイバルスの最期とその人柄

 

●バイバルス世を去る●

 バイバルスは1277年の春、イル=ハン国との戦闘のためトルコの奥深くに進撃。イル=ハン国の君主・アバカーに対決を迫った。しかし、アバカーはバイバルスとの対決をさけて撤退。バイバルスは戦わずしてダマスカスへ凱旋した。そして、その戦勝祝賀会の場でモンゴル風の馬乳酒を飲みすぎ、体調を崩してしまい、二週間苦しんだ後、7月1日に息を引き取った。数え年で49歳であった。一説には馬乳酒には毒がもられていたともいわれている。

 バイバルスの死後は彼の息子であるバラカがスルタンの位を継承した。バイバルスは事前にバラカを後継者とするために根回しを行っており、有力部将であるカラーウーンの娘と縁組などもさせていた。しかし、バラカは元来遊び人で、功臣を退け、ねい臣を重用したため有力なマムルーク部将達の反感を買いついには、その座を義父であるカラーウーン奪われてしまうことになる。

●バイバルスとサラディン●

 バイバルスの廟(墓)はダマスカスのサラディンの廟の近くに、バイバルスの死後、二年後に建てられた。エジプトとシリアを領有し、十字軍と戦い続けたイスラムの二大英雄の墓が近くにあるというのは興味深いところである。ちなみに私はかつて(二年前)に当コンテンツにある「バイバルス伝・概略」を書いたのだが、その時に

「サラディンはシリアから十字軍を追っ払うことができなかったが、彼(バイバルス)はシリアのラテン国家を根絶やし破壊することができた。また、サラディンは安定した国内体制をのこせなかったが、バイバルスは二百年にわたって続く国家をつくりあげた。また、この頃がエジプトが最も繁栄したときであり、今もエジプトが中東の中心的国家たるゆえんもこのマムルーク朝によるものではにかという人もいる。日本人にはサラディンのほうが有名だが、エジプトではバイバルスのほうが有名(人気がある)ようだ。」

といったことや、

「バイバルスはサラディンができなかったことをやった」

などと、バイバルスはサラディンよりも優れているということを度々アピールしたし、自分自身もそう思っていた。しかし、バイバルスについて調べる際、マムルーク朝の前身ともいえるアイユーブ朝についても調べる必要があったので改めてサラディンに関する記述を読み直してみたのだが、決してサラディンがバイバルスに劣っているわけではないということを認識させられる結果となった。

 「概略」の記述

「サラディンはシリアから十字軍を追っ払うことができなかったが、彼(バイバルス)はシリアのラテン国家を根絶やし破壊することができた。」

とあるが、マムルーク朝がアイユーブ朝の版図であるエジプト・シリアを継承した(紆余曲折はあったが)のに対して、サラディンはシーア派イスラム王国・ファーティマ朝の支配していたエジプトを、スンナ派国家につくりかえ、その後、シリアを併合していくに至ったのである。さらに一口にシリアといっても多数の勢力が存在しておりそれらの勢力に対する懐柔や戦闘などが繰り返されており、エジプト・シリアの安定的統治にいたるまで大きな力を裂く必要があった。さらに、サラディンの時代に派遣されてきた第四回十字軍はイギリス国王「ライオンハーテッドキング(獅子心王)」リチャード一世や、フランス国王「オーギュスト(尊厳王)」フィリップ二世といったソウソウたるメンバーであった。シリアの十字軍国家殲滅以前に、彼らの脅威をシリアから退ける必要があった。さらに、マムルーク朝にはアイユーブ朝時代に蓄えられた財力があった。サラディンもマムルークを雇って戦闘に参加させたりしたが、サーリフのように、一万人を超すマムルークを私財でまかなえるほど経済的な余裕はなかった。

また

「サラディンは安定した国内体制をのこせなかったが、バイバルスは二百年にわたって続く国家をつくりあげた」

とあるが、これも前の記述と同じでサラディンには安定した国内体制を築きあげるだけの時間がなかった。マムルーク朝はいうなれば、アイユーブ朝のシステムを継承して完成させるに至ったというわけである。

 確かに「バイバルスはサラディンのできなかったことをやった」のだが、逆にサラディンの側からいえば、「サラディンは、バイバルスがやらなくて済んだことをやった」ということになる。両者ともおかれている情勢が違うので一概に優越をつけるのは難しく、優越をつける意味もないような気がする。ただ一ついえるのは二人とも、自分の生まれた時代環境の中で偉大な業績を残したということである。

 

●バイバルスの人柄●

 ここからはバイバルスの人柄について触れていく。

 バイバルスはスルタン位にあったのは17年間ある。その間、モンゴル、十字軍と刃を交えること32回、そのうち半分は自らが陣頭指揮をとったという。年に一回の割合で自ら戦闘にのぞんでいた計算になる。スルタン位にある彼には戦争以外に、外交、内政といった仕事もあるわけだから、かなりハードな日々を送っていたものと思われる。さらに彼がスルタンになる以前・・・マムルーク部将であったころも戦闘に明け暮れていたわけだから、まさに生涯を戦争に費やしたといっていいだろう。

 そんなバイバルスの肉体的強靭さを示すエピソードが残っている。

 当時、マムルーク騎士の間には、馬術、槍術、弓術といった戦技にもとづくスポーツが流行した。職業軍人である彼らにとって、果たして仕事なのか余興としてのスポーツなのかの境界がどこまであったかは分からないが、「強い」ということが評価の対象であり、同時にアイデンティティであった彼らにとって、戦技にもとづくスポーツが流行したのは当然の流れなのかもしれない。

 その中でも馬を走らせながら球を打つポロは運動量も激しく、もっとも男性的なスポーツとされていた。バイバルスはなんと一週間のうちにダマスカスとカイロでポロを楽しんだという。当時、バイバルスによってカイロとダマスカスを直線でつなぐ幹線道路がバイバルスの命によって建造された。直線でつなぐといってもその距離は700キロである。バイバルスはカイロでポロをおえた後、ダマスカスへ向かって幹線道路をひたはしり、途中の宿舎で馬を乗り換えながら、ダマスカスへ到着し、ポロに興じる・・・これを一週間のうちにこなしたというのだ。普通、伝令は同じ人間が馬を乗り換えながら走っていくが、距離が長い場合には伝令の人間も交代しながら走っていくのだから、バイバルスの体力は脅威としかいいようがない。

 バイバルスの性格について牟田口義郎氏は著書の中で小山皓一郎氏が訳をされたトルコの百科事典の訳を引用している。孫引きになってしまうが、紹介しておきたい。

「バイバルスは常に注意深く計算したうえで行動をおこし、ささいなことに関してもきわめて慎重であった。享楽的なことを嫌い、金銭には淡白で、狩猟やポロ競技を唯一の趣味とし、マムルークの間で語り草となるほどの妙技を示した。戦いの決定的な瞬間には、しばしば一兵卒のように最前線に出て、身を危険にさらした。忠実なムスリムで、聖法(シャリーア)を守り、イスラームの長老(シャイフ)や学者を尊敬して多くの神学校や寺院、救済施設を寄進した。また、国家の大きな収入源となっていたにもかかわらず、売春を厳しく禁じた。」

 また、バイバルスは歴史を好み

「歴史に耳を傾けることは体験にまさるものだ」

と述べたという。

 戦闘に生涯をささげ、十字軍の撃破、モンゴル軍の撃破、シリアの十字軍拠点の破壊など、多大な戦績を残しただけでなく、内政面でも優れた手腕を発揮したバイバルス。その性格は禁欲的で信心深く、窮地に立たされても仲間を見捨てない強さに溢れていた。そんな彼だからこそエジプトではサラディンより人気があり、講釈師の格好のテーマになるのであろう。

 

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