モンゴル来襲!! |
●エジプト、モンゴルに備える●
1259年。クトズはバイバルスをエジプトに迎え入れると軍司令官に任命する。バフリー・マムルークにとっては七年ぶりのカイロの地である。エジプトのマムルーク政権はマムルークを支配階級とした、いわば軍部独裁体制を敷き、なおかつアイユーブ朝の制度を受けついでいた。
バイバルスはクトズから実戦部隊の編成と訓練、モンゴル迎撃を一手に任される。クトズの部下たちも軍事能力に優れたマムルーク達である。シリアの地でモンゴル来襲に備えようとしていたころとは軍の質・量ともに充実していたのではないだろうか。
バイバルスはモンゴルとの決戦の地はシリアにしようと進言。バイバルスは七年間の放浪生活によりシリアの地勢は熟知している。また、バイバルスはエジプトは農業と経済の中心地ということをふまえエジプトを戦場にしたくなったのかもしれない。
マムルーク朝におけるシリアとエジプトの関係を考えるとき、私は孔明の天下三分の計における蜀の国のありかたと似ているように感じる。。中国の三国時代、劉備は軍師の孔明の天下三分の計(魏、呉、蜀の三国によって中国を三等分し、互いの勢力を拮抗させる。劉備の国・蜀は呉と共同して魏をせめ、魏を滅ぼした後に呉を併呑する戦略)に従い、蜀の地に国を定めた。劉備の軍師である孔明は山によって四方を囲まれた蜀の地は作物が豊富にとれる土地であり、ここの経済力を基盤にして天下統一をなすべきであると述べた。そして孔明はこの蜀の地だけでなく蜀の東側に接する、荊州・・・呉と魏と国境を接し交通の要衝であるこの地をおさえる必要があると述べた。荊州は魏そして呉へ進撃するための重要な道なのである。孔明は荊州を武を用いる国と述べている。蜀の地の経済力を背景に荊州から天下統一を伺うというわけである。
香辛料はエジプトを経由して、ヨーロッパ商人の手にわたる。それによって得られる利益は莫大なものであり、エジプトの経済は大いに潤った。さらにエジプトはナイルの賜物といわれるように、ナイル河の氾濫により肥沃な農地ができ、農作物も豊富にとれた。まさに経済・農業の中心地であり、まさに蜀の地である。それに対しシリアは荒涼とした土地ではあるが、それ故に交通の便はよい。マムルーク朝が北に東に拡大する際にはなくてはならない土地であり、こちらは荊州にあたる。
ちなみにこの段階ではシリアはマムルーク朝の領域ではなかった。バフリー・マムルークはシリアのどこかの土地を領有していたわけではないので、クトズのもとにバフリー・マムルークという戦力のみが合流したという形である。「マムルーク朝の成立」においても述べたように、当時のシリアにはアイユーブ朝の王族、ナセルがスルタンとして統治していたのだ。
●シリアを駆ける狼●
モンゴル帝国の中東侵攻軍は皇帝・モンケの弟、フラグが率いていた。フラグがバグダートを陥落させたことが、バイバルスとクトズを協力させるキッカケになったのだが、1259年の秋、フラグはアゼルバイジャン(イラン西北部からカフカスにいたる地域)を発し、メソポタミアの北部地方を南下していた。フラグはディヤルバクル、エデサといった現在のトルコ東部にある要衝の地を制圧、守備にあたっていたアミールの首はことごとくはねられた。
翌年の一月には、ユーフラテス河を渡河し、シリアの地へと侵入。シリア北部の要衝の地、アレッポを陥落させる。この時、シリアの十字軍国家、アルメニア王国とアンティオキア公国、トリポリ伯国はフラグ率いるモンゴル軍に合流し、共同してアレッポを攻撃した。アレッポは連合軍の攻撃を前にして十日で陥落、モンゴルによる虐殺と略奪は十日の間行われ、五万人の男子が殺され、十万人の婦女子が奴隷として売り飛ばされた。アルメニア王国のヘトゥーム一世は大寺院に放火を行ったりもした。
連合軍はダマスカスへむけて進撃をはじめた。アレッポからダマスカスへは一本の幹線道路が走っており、幹線道路の要衝地、ハマ。ホムスといった街もアレッポ同様、虐殺と略奪の憂き目にあった。ダマスカスに居をおく、シリアのアイユーブ朝スルタン・ナセルはフラグに臣従の意を表する。
バフリー・マムルークはかつてナセルのもとでモンゴルに対抗しようとしたが、バフリー・マムルークがエジプトに走らず、ナセルのもとに留まってもモンゴルに対して臣従の意を表したのではないだろうか。いや、バフリー・マムルークが彼のところでモンゴルに対する軍備を整えていたころから、ナセルの発言にモンゴルに臣従するつもりであるいった発言が見受けられため、バフリー・マムルークは彼を見限ったのかもしれない。早めにナセルに見切りをつけてエジプト軍の再編成を行う時間をつくることに繋がったといえる。
ナセルは臣従の意を表したものの、モンゴルの各都市での徹底した虐殺や略奪の話を知ってか、身の危険を感じてエジプトに逃亡する。ダマスカスはモンゴル連合軍の攻撃に一ヶ月もちこえたえるも陥落。守備隊は例によって虐殺の憂き目にあう。ナセルはエジプトに脱出して正解だったのかもしれない。だが、ナセルがダマスカスを脱出したことがフラグの怒りをかい、このような結末になったのかもしれない。
モンゴルはさらに東進し、サマエル、ナブルスを制圧。さらにガザ(ここはもうマムルーク朝の領域になる)をも制圧する。地中海についに達したモンゴル帝国。彼らの次の目指すべき場所はそう、マムルーク朝の支配するエジプトの地であった・・・。
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