バイバルスの外交政策 |

●13世紀中期の世界●
バイバルスがスルタンとなった頃の世界情勢は上の地図のような具合であった。
この時代の地図をみるといつも疑問に思うのだが、なぜイスラムの聖地メッカがどこの支配領域にもはいっていないのだろうか?
別に統治する価値はないということなのか?
それはともかく、マムルーク朝は東をイル=ハン国と国境を接していた。
イル=ハン国にしてみれば、東はチャガタイ=ハン国、北はキプチャク=ハン国という自分達と同じモンゴル帝国の諸王朝が並立し、西に国境を接するビザンツ帝国に関しては、イル=ハン国初代ハーンであるフラグの息子(後に二代目ハーンとなる)・アバカーの妻はビザンツ皇帝の娘であり縁戚関係にあった。東のインドにはデリー=スルタン朝というイスラム政権があったがヒンドスタン山脈を隔てたこの国とは特にいざこざはなかったようである。
すると必然的にイル=ハン国の敵は西に国境を接するマムルーク朝である。かつてシリアを制圧したフラグの軍勢をシリアより駆逐した憎きマムルークがおさめる国である。
しかし、マムルーク朝に対してフラグは生涯をとおして陣頭指揮をとって戦うことができなかった。しなかったのではなく、できなかったのである。
それは、イル=ハン国にはマムルーク朝以外にも脅威となる国が存在していたのである。
●モンゴル帝国のイスラム化●
イル=ハン国の脅威となった国・・・それは同じモンゴル帝国の成員であるキプチャク=ハン国であった。
イル=ハン国の頭首、フラグはモンゴル四代目大ハーン・モンケ=ハンの弟である。モンケはキプチャク=ハン国の頭首であったバトゥと親密であり、モンケが大ハーンになったのもバトゥの力添えあってのことであった。バトゥはモンケやフラグのいわゆるトゥルイ家(彼らの父・トゥルイの一族という意)に対して友好的であった。
しかし、1256年にバトゥが亡くなり、弟のベルケがキプチャク=ハン国を継承する。ベルケは当初、モンケの命によりフラグの中東侵攻軍に兵力を供与したりもしていた。
しかし、モンケの死によってモンゴルへ帰るかと思っていたフラグはアリク=ブカの根回しによって中央アジアを通ってモンゴル高原に帰ることができなくなり、イランの地に残ることになってしまった。そして結局フラグは自分が遠征軍を率いて侵略した土地で独立し、イル=ハン国をうちたてることになった。
これはベルケにとっては誤算であった。なぜならイル=ハン国とキプチャク=ハン国が国境を接するカスピ海をはさんだ東西の地域は遊牧に適した土地であったからだ。ベルケはまさかこの地の南方にモンゴル系の王朝ができることになろうとは思ってもおらず、たちまち両者はこの土地をめぐって国境紛争をおこすようになってしまった。
さらにベルケはイスラム教に帰依してしまったのである・・・。フラグの妻はネストリウス派のキリスト教徒で、また、彼の息子アバカーの妻も前述したようにビザンツ皇帝の妻である。宗教的な面での対立までひきおこしてしまったというわけである・・・。
フラグは結局、北側にも脅威をかかえてしまったため全力をもってシリアへ侵攻というわけにはいかなくなってしまったのである・・・。
●敵の敵は味方●
マムルーク朝スルタン・バイバルスはイル=ハン国の脅威をなんとかして取り除きたいと考えていた。シリアの大部分を手中におさめたとはいえ、まだシリアには十字軍国家が残っている。これらを打ち崩しシリアを統一する軍事行動をおこすためにはイル=ハン国の脅威を削ぐ必要があった。
バイバルスはフラグとベルケの不和を知った。バイバルスはすかさずベルケに同盟申し込みの使者を送った。マムルーク達はもともとキプチャク平原に住んでいたトルコ系遊牧民族でありモンゴルもトルコ系遊牧民族である。さらにベルケはイスラムに改宗していた、しかも両者にはイル=ハン国という共通の敵が存在していた。ベルケにしてみれば同じモンゴル王族のフラグよりも、バイバルスに親近感を覚えたのかもしれない。
そしてついに、キプチャク=ハン国とマムルーク朝の同盟が成立。ベルケはモンゴルを裏切ることになってしまったが、イスラム教徒のベルケにしてみれば、カリフのすまうエジプトの地をイル=ハン国より防衛するという宗教的な大義名分を得ることができていたのである。バイバルスのカリフ推戴はここでも思わぬ力を発揮したのである。
実はバイバルスはベルケと同盟を結ぶ以外に、かつて自分の主人・サーリフの頃から友好的だった神聖ローマ帝国ともよしみをかわし、ビザンツ帝国、シリアのフランク諸侯にも働きかけ束の間の平和をつくりあげた。これもそれも全てはイル=ハン国の侵攻に対する防衛政策の一環だったのである。
フランク諸侯に対して行ったのはマムルーク朝に対して彼らフランク諸侯が敵対しないようするための働きかけでしかなかったが、ベルケとの同盟は、共にイル=ハン国に対抗していこうという軍事的な同盟であったのである。そして、この同盟の成立はマムルーク朝のピンチを救うことになるのであった。
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