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13世紀の世界情勢

 

 

 バイバルスが登場した時代・・・13世紀。ここでは13世紀の世界情勢について述べていきたい。

 上にあげた地図は十二世紀末の中東を中心とした地図である。

 地図内の国の中で、ゴール朝、ホラズム、セルジューク・トルコ、アイユーブ朝、ムワッヒド朝はイスラム王朝である。地図には示していないが、ホラズムの東端とアイユーブ朝の西端、セルジューク・トルコの南端・・・ちょうど現在のイラクにあたる場所にはイスラム教の教主であるカリフのおさめる、アッバース朝が存在している。当時のイスラム世界は西は北アフリカ西端、東は中央アジアにまたがる巨大なものであった。

 アイユーブ朝の領土の北端であるシリアの海岸沿いをよくみていただくと、アイユーブ朝の版図でないところが少し点在しているのがわかるだろう。これはヨーロッパ諸国のくりだしてきた十字軍がつくりあげた十字軍国家である。

 

●モンゴル帝国の進撃!!●

 しかし、十三世紀初頭、この世界地図は大きく塗り替えられることとなる。ちょうどこの頃、モンゴルでは「蒼き狼」チンギスハンがモンゴル高原の諸民族と戦闘を繰り広げ、モンゴル高原の統一に邁進していたのである。

 1206年・・・チンギスハンは遂にモンゴル高原を統一する。しかし彼らの征服欲はとどまらなかった。前世の記憶か、まだ見ぬ夢か・・・。モンゴル帝国の精強なる騎馬軍団は、中国、そして西方へと繰り出していったのである。

 モンゴルはまず西遼を滅ぼし、その後、ホラズムへと進撃する。モンゴル帝国の人口はモンゴル高原の過酷な環境ゆえにホラズムに遠くおよばない。もちろん兵力に関してもホラズムに劣っている。しかも、ホラズムは新興王国で勢いに乗っている・・・はずだった・・・。

 チンギスハンは慎重に情報を集め、ホラズムの王族が内輪もめをしているとの情報を手にいれ進軍を開始する。数に劣るモンゴル軍であったが、その騎馬のみで編成され機動力に富む軍隊、過酷なモンゴル高原で生活することで精強にならざるをえず、騎馬の戦術に精通した兵士達、そして合理性を追求し、伝統と長い戦乱の中で培われた戦略・戦術。それに対し足並みの揃わないホラズムは部分部分では善戦するものの、結局は敗走し、ついに国を滅ぼすことになってしまう。

 話はそれるが、東方の中国でも、華北の版図を金に奪われた南宋は、モンゴルと同盟し、仇敵・金を滅ぼすことに成功する。しかし、そこで南宋は計算違いをしていた。モンゴルを利用して北から圧力をかける金を滅ぼし、版図の回復を図ろうとしていたのだが、モンゴルは金よりも恐るべき存在だったのだ。南宋は自ら防波堤である金を滅ぼしてしまったのである。その後、長江を盾にモンゴル帝国に対して善戦するも、長江の守りが破られると一気に敗走し、滅ぼされてしまうのであった・・・。南宋もホラズムもモンゴルの脅威をどこまで認識していたのだろうか・・・。

 モンゴル帝国は更に西方へと進撃する。チンギスの時代においてはモンゴル帝国はホラズム以西のイスラム諸王朝には進撃せずカスピ海(地図中のセルジューク・トルコの文字の上にある湖)の北に広がるキプチャク平原に進出し、キプチャク平原の遊牧民をおいちらす。その後、チンギスは病に倒れ、遠征軍は一旦引き上げることになる。

 そしてチンギスの後をついだオゴタイ・ハンはチンギスの遺志を継ぎ遠征軍を再び東西に派遣する。西方遠征軍の総司令官・バトゥはかつて自分の父・ジュチの駆け抜けたキプチャク平原に進出し、再びキプチャク平原の遊牧民達を追い散らすことになる(チンギス時代においては、キプチャク平原にまで進出はしたものの制圧に至る前に撤退してしまっている)。

 バトゥは1240年、キエフ王国を滅ぼし、さらに西方へと駒をすすめる。1231年、ポーランドに進出したモンゴル軍はポーランド軍と激突。リーグニッツという町の近くの平原で行われたこの会戦は、その戦闘によって築かれたポーランド兵の遺体の山に由来しワールシュタット(死体の山)の戦いと呼ばれる。後にリーグニッツはワールシュタットと町の名前をかえることになる。

 ワールシュタットの戦いの後、オゴタイハンはこの世を去り、モンゴルのヨーロッパ遠征はこれにて終了となる。

 オゴタイの後を継いだグユグの後を継ぎ、モンゴル帝国の支配者となったモンケハンは、南宋に兵をむけるとともに、西方・・・今度はヨーロッパでなく中東に兵を繰り出した。1253年のことである。このモンケの弟・フラグに率いられたモンゴル軍団はイスラム世界を震撼させることになった。イスラム諸王朝は、ホラズムが滅ぼされて以降、モンゴルに対して危惧を抱いていたが、ついにその矛先が自分達のほうにむいてきたのである。

 

●十字軍再び●

 モンゴルの脅威が世界を震撼させようとしている頃、西方では六度目の十字軍が編成され、イスラム世界に脅威をもたらそうとしていた。軍を率いるはフランス国王ルイ九世。今までヨーロッパ諸国の混成軍であった十字軍と異なり、今回はフランス人のみで編成された軍隊である。

 1248年秋。キプロス島に渡ったルイ九世は英気を養った。彼は聖地エルサレムの奪回の鍵は聖地を擁するアイユーブ朝の根拠地・エジプトにあるとふんでいた。

 そして1249年、ルイ九世は36000の大軍を率い、ナイル河の東側の河口にあるダミエッタに上陸した。エジプトのアイユーブ朝は、モンゴルの脅威の前に、十字軍の脅威にさらされることになった。さらに、追い討ちをかけるように、エジプトのスルタン・サーリフは、病にふしていたのだ・・・。

 東はモンゴル、西は十字軍、エジプトのアイユーブ朝・・・ひいては、イスラム世界は危機的状況におかれていた。この窮状を救ったのが、アイユーブ朝、スルタン・サーリフが育てていたバフリー・マムルークと、バフリー・マムルークの気鋭・バイバルスであった・・・。

 

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