サラディンについて語る前に |
マムルーク朝スルタン・バイバルスがその軍事的才能を発揮させたのは、ルイ九世率いる第六回十字軍との戦いであった。その後、政権を握ったバイバルスはシリアに割拠する十字軍諸国家を攻略し、最終的にはバイバルスの実質的後継者ともいえるカラーウーンにより、シリアから十字軍国家は一掃されるに至った。また、バイバルスの治世中にルイ九世は再び十字軍を興しチュニスに上陸、しかしルイ九世は風土病にかかり病死してしまい、第七回の十字軍はあっけない最期を迎える。ちなみに第七回十字軍は「最期の十字軍」であった。
こうしてみていくと十字軍勢力はマムルーク軍勢に敗北を喫し、キリスト教世界のイスラム教世界への侵攻は結果としては敗北に終わっている。しかし、マムルーク朝の攻勢による十字軍勢力の中東からの一掃は十字軍対イスラム諸国との戦いの最終的な局面であり、約200年に及ぶ(途中にもちろん休戦期間は存在したのだが)両勢力の戦いの中では、イスラム勢力が苦戦を強いられ苦境にたたされる場面・時期が多々あった。特に第一回の十字軍がシリアにあらわれたときは、イスラム勢力は結束力を失っており、聖地エルサレムを易々と十字軍の手に渡してしまうという事態におちいってしまった。その後、イスラム勢力による反攻が行われたが、その反攻が新たな十字軍を誘発するという事態を招いた。そして、劣勢に立たされたイスラム勢力をたてなおし、十字軍勢力と五分五分のところまでもっていったのが、サラーフ・アッディーンことサラディンある。
キリスト教徒との戦い・・・聖戦(ジ・ハード)・・・の英雄として有名な彼は、恐らく日本でもっとも有名な中世イスラム世界の人物の一人ではないだろうか。
ただ、正確にいえばサラディンの十字軍闘争は親分筋にあたるヌール・ディーンの興した十字軍闘争を継続させたものであり、サラディンの業績だけでなくヌール・ディーンらの業績ももっと評価すべきところではあるのだが、何故かサラディンばかりが脚光を浴びているのが日本のイスラム史認識の限界なのである・・・。
それはともかく、このコンテンツではマムルーク朝の前身ともいえるアイユーブ朝の紹介と中世イスラム史に於いて、もっとも有名でバイバルスとの比較にもってこいの人物であるサラディンの紹介をしていこうと思っていた。しかしサラディンやアイユーブ朝を語るには親分筋のヌール・ディーンを語らないわけにはいかない。
いうなれば明の高祖・シュゲンショウ(字は国瑞)を語るのに、かつて、シュゲンショウの親分であり最期は敵として合間見えた張士誠について語らなくてはならないのと同じである(余計に困惑するたとえのような気もするが。)。
さらにヌール・ディーンの話をするのならヌール・ディーンやサラディン、そして後にはバイバルスやカラーウーンが迎え撃ち、時には攻め入った十字軍勢力・・・同時にそれに対抗したイスラム勢力(ヌール・ディーン以前の)についても触れないわけにはいかない。ということで、この項では十字軍とそれに対抗して立ち上がったイスラム勢力についてお話していくことにした。
十字軍とイスラム世界の戦いはキリスト教世界対イスラム教世界の大きな対決であり、未だにその根は深く残っているのか、現在も両教間における宗教対立が起こっているのは周知の通りである(もっともイスラエルとアラブ諸国の対立などはイスラエルがユダヤ教国なので正確にいえばキリスト教対イスラム教というわけではないのだが)。果たして現在におけるいわゆる宗教対立というものが、どこまで宗教に根ざした問題なのか(単に経済的な対立が宗教対立におきかえられているような気もするが)、十字軍対イスラムの影響が、どこまで今に残っているか(十字軍やジ・ハードという言葉は音感がいいのか士気を高めるのか知らないが頻繁に使われている。ただ、十字軍やジ・ハードという歴史用語を使うことで現在の国際問題を歴史的問題にすりかえるだけの技法にも思えなくもないが)は不明であるが、現在にも通ずる事件ではないだろうか。また、現在の問題とリンクさせなくとも、歴史的にみて十分に面白い事象である。この十字軍の侵攻の後、東方からはモンゴルの脅威がキリスト・イスラム両教圏を襲うことになる。十字軍遠征とモンゴルは戦争や人・物の往来を限定された地域から、より広い地域へといやおうなしに広げ、世界のあり方を大きく変えていくきっかけとなるのであった。
まさに「激動!ユーラシア」である。
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