立山・黒部アルペンルート・白川郷 旅記録




私も社会人になって数年たつ。
今年の夏休みは1週間まるまる休めない雰囲気である。
「今年の夏は海外旅行はあきらめよう。」
「じゃあ、どこ行こうか。」といった感じで考える。
「とりあえず北陸。」
なんて感じで職場の近くの本屋に旅行ガイドを買いに行く。

そうすると立山黒部アルペンルートを走破して北陸へ抜ける
方法があることを知る。
「これはいい。そして金沢へ抜けよう!」

と安易に行き先を決定する。
あとは仕事の調整と上司の顔色を伺いながら休暇の判をもらうだけである。

大急ぎで仕事の調整をする。
休暇の決済を上司からもらい次第、旅行の手配をはじめる。

インターネットはほんとに便利である。
JRと全日空の時刻表をみながら交通機関の手配はネット上でできる。
宿の手配ももちろんでできる。
つまり職場の私の机の上ですべての手配が終わってしまう。
30分で手配が終わった。
宿泊地は松本・立山・金沢。3泊4日、帰りは金沢(小松)から空路。

1日目

新宿駅で特急「あずさ」を待つ。
列車が好きな私は軽山ハイクサークルが中央線沿線であると
ことごとく「あずさ」を使う。

そして最近、武田菱の新型「あずさ」が登場したことを知り、
是非これに乗ろうと思い、この電車の指定券をとった。
とても楽しみである。

ほんとに列車はかっこよかったです(←発想が小学生並)。

そして長野県松本市に昼頃やってきました。

月並みですが松本市内散策をしました。
「あつい」です。
それはさておき、松本市は城下町らしい風情がありました。
そんな街中の手打ちそばやで腹ごしらえ。
なかなか歯ごたえがあり、うまいそばでした。

その足で、国宝松本城・旧開智学校をおきまりのように
散策しました。この学校は明治時代の小学校だったのですねえ。
どっかで勉強したような記憶があります。
開智学校は夏休みの課題をやっている小学生でごったがえしていました。

明治時代の教育者達の情熱がなんとなく伝わってきて
感慨深いものがありました。(真面目モード)
となりにある開智小学校には小学生がおり、
私と目が合うたびに「こんにちは」と挨拶してくれる。
(というより先生にそう教育されているのだろう。)
なんか気持ちよかった。
挨拶の気持ちよさは小学生のころは正直、わからなかった。
先生に強要されているとしか感じていなかった。当時。
私がひねくれもの小学生だったのですかねえ。
最近、自分がとんでもない「変わり者」であることを自覚してきましたから。
学生時代は私はノーマルだと思っていた


話はそれましたが
駅前の観光協会のおばちゃんから松本駅から行ける
気軽な温泉を教えてもらったら「浅間温泉」と聞き、
立ち寄り温泉「ホットプラザ浅間」にバスに乗ってやってきました。
温泉は気持ちいいですねえ。やっぱり。

そして温泉からあがって休憩室で一息してこの文書を書いている次第です。
家族連れが1組いる以外はみんなじいさん、ばあさんです。
そういやー、世間のサラリーマンは東京で働いているんだなっと
あたりまえのように思いました。(殺されそうだ。)

もう少し、冷房の効いた休憩室でゆっくりして
松本駅前のビジネスホテルに帰るとしよう。

この日の晩は観光協会のおばちゃんが今日は祭りだと言っていたので
本日開催されるという松本深志祭りにゆきました。
松本市内の人たちが祭りだ祭りだと集まっていました。
祭りはいいですねえ〜。
的屋が出ていて、「ぴーひゃら、ぴーひゃら」
なんかいるだけで楽しかったです。


2日目

翌朝は4時半に目がさめました。
夜に買ったコンビニの菓子パンをたべる。
ビジネスホテルなので仕方ない。

早々にチェックアウトして松本駅から大糸線に乗る。
ワンマン電車であったがかなり編成が長かったです。
始発なのでがらがら、私は1ボックス占領。きもちいい。
信濃大町へ向けてローカル線がひたすら走る。
北アルプスの山々がどんどん近づいてきて
車窓からの風景が山脈が見える田園風景が見えてくる。
感動だ。

そうこうしているうちに地元の女子中学生たちが
乗車してくる。
東京の学生さんとはかなり違う。
すごい純朴そうだ。

そうこうしているうちに列車が信濃大町に到着。
山岳救助隊の腕章をしている人に呼び止められた。

「登山するのですか?」
「いえ、室堂でちょっと散策するだけです」
「そうですかぁ、楽しんでください」(隊員の安堵の顔・はぁ、わたしは何?)

高原バス乗り場に行き、切符を購入し、バスに乗り込む。
客はほとんどいない。

そしてバスはどんどん登りあがる。
「扇沢駅」に到着。
立山までの行きの切符を買う。
遊覧船込みで9000円近い金を払う。
高い...。

トロリーバスに乗っかって黒部ダムへ。
天気は快晴。
黒部ダムと北アルプスの姿が素晴らしい。


それにしても、客はじいさん、ばあさんばかりだ。
この素晴らしい景色、若者も感動すると思うのだけど。
若者は海、かなあ。それとも私は変わり者かなあ。
あと、客のほとんどは旅行代理店のパックツアー。
旅行代理店のバッチをみんなつけている。
私はこれは恥ずかしい。

黒部湖で遊覧船に乗る。
80人乗りの船に乗客は10人弱、がーらがら。
エメラルドブルーの水面と北アルプスの雄姿がすごかったです。


ケーブルカー乗り場で吉本にいたような駅員から
立山・黒部アルペンルートの案内を聞く。なんかなー。
地下ケーブル、ロープウェイでもっと上の大観峰(標高2316m)へ。


あちこちに雪が残っていたり、このあたりまでくるとスケールの
すごさに「すげー」と思わず口から言葉が出てしまった。

さらにトロリーバスにのってアルプスを渡りきって
室堂平(標高2450m)へ。


室堂平バスロータリーから外へ出ると風景に感動しました。
「日本にもこんな風景があったのかっ」
特に、みくりが池からの展望は良かった。
どこかで室堂平を一周しても15分くらいと聞いていたので歩いてみることにした。
地獄谷を通って一周してみた。歩けば歩くほどパノラマがどんどん変わってゆく。
しかし15分というのは嘘だった。
2時間ぐらい1周するのにかかった。
(その日の旅館の張り紙にはトレッキングコース中級とあった。どおりで...)
しかし途中で次々と変わるパノラマに感動しました。
数mおきに、「ぜえぜえ」と肩で息をしていたのは確かではあるが。


私もこのような絶景を見ていると自分の悩みなどちっぽけに見えます。
ところどころでハイカーと会う。

「こんにちは」
「こんにちは」

とても気分が良かったです。


室堂から立山までバスやケーブルで降りた.
けっこうあっという間、だったような気がする。

驚いたのは立山駅に着いた瞬間であった。
PHS(エア・エッジ)が、まず入らない。

宿まで歩いてゆこうと考えたが、歩いてみて歩いてゆくのが不可能
であることに気づいた。

とんでもない田舎だ。公衆電話がなかなかみつからない。
やっと見つけて電話をする。

歩いてはとてもはゆけないので車で迎えに来てくれるそうだ。
民宿の周りには何もないそうだ。
仕方ないので民宿でゆっくりすることにする。
ぴっちも入らない。

ところで宿泊客は私と老夫婦の3人のみ。
適当に和気あいあいとおしゃべりしながら夕食を楽しんだ。

観光ガイドを開きながら明日はどこにゆくか考えた。
なぜか突然「白川郷」に行こうと考え出した。

バス会社に電話する。
高岡駅9時半発。
果たして立山のこの民宿から間に合うのだろうか。

民宿のおっさんと交渉する。
明日、高校生の息子を列車がたくさんでる駅まで送りに
ゆくのでいっしょに乗せていってくれるらしい。

風呂、はもちろん私一人。最高であった。


3日目

朝、5時ごろ目がさめる。
立山の朝は涼しいのか、それとも部屋のエアコンが涼しいのか定かではない。

今日はご主人さんとの約束どおり6時半に朝食をとる。
朝から豪勢な食事だ。

7時10分に電車がたくさん出るという駅まで高校生の息子さんを
そこまで送りに行くというので私も一緒にのせてもらう。

ローカル鉄道の私鉄の駅なので駅の雰囲気が
いかにもローカルな雰囲気が出ていた。
通学の高校生たちがたくさんいたが記念に一枚とった。
周りの高校生たちの冷たい視線が私に注ぐ。
(やめてくれ〜)

この息子さん、話をしてみると富山市内にある地元では有名な
進学校に通っているらしい。
もちろん大学は県外希望で親元脱出計画を考えているようだった。
ほんとにアットホームな民宿に宿泊したものだ。

列車が富山に近づくにつれて通勤・通学客が増えてゆく。
乗客が皆、不快そうな顔をしているが東京の通勤はこんなものではない。
富山の街並みが見えてくる
立山・黒部アルペンルートも終点だ。
街並み見ながらなんとも言えない感慨がこみ上げてくる。

高岡発9時半のバスに乗らなければならないため
富山駅前の様子を一望しただけですぐにJRに乗り換え、
北陸本線高岡駅へ向かう。

東京郊外に普通に走っている路線バスで白川郷へ向かう。
(正直、このバスで2時間半か?とか考えてしまった。)

砺波平野をひたすら路線バスが走ってゆきました。
JRの列車の走っている最後の駅、城端駅を最後に風景がいっぺんする。
車内放送が路線バスモードから観光バスモードへ変換する。
路線バスの車内放送から民謡が流れるのですよ。
ほんとに驚きました。

ところどころ合掌造りの家が見えはじめる。
平家の落ち武者たちの集落だとわたくしのなんちゃって
教養で覚えていましたが、ほんとにそんな雰囲気が漂っていました。

しかし...。
バスに乗っている観光客らしき人間は私しかいないぞっ。
ときどき地元の人が乗り降りしている程度。
その上、このバスで2時間半はつらい...。

ショックなのは観光地についたら
旅行代理店のバッチをつけた大量の集団。
(私のいちばん苦手とする人たち...)
どこからこんなにわいてきたのだろう。
今までいなかったぞ!。

バス停で帰りは高岡ではなく金沢まで行く便があることが判明!。
よくはわからないが予約をする必要があるらしく電話する。
すぐOK。

世界遺産白川郷合掌造り。
あー、なんてこった。
まあ少し歩こう。

どんどん奥へ進んでゆくと観光客も少なくなる。
田んぼと合掌造りの集落がだんだん感慨深いものになってゆく。


ランチは団体客がいなくなったころの時間を見計らって合掌造り
の建物内でとる。
柿葉味噌牛肉蕎麦はかなりうまかったです。
何故か、この旅は蕎麦が多い。


そして展望のできる丘で小休止。
白川郷が一望できる。
絵葉書やポスターのよう。
バイクでやってきた人たちもいる。
関東からやってきた人はあまりいないようだ。


さて中心地に戻ると今度は閑散としている。
観光客が一気にいなくなった。
金沢行きの高速バスまで時間があるので喫茶店に入る。
(もちろん合掌造り)
この雰囲気で和風にこだわった珈琲がなんともいえず良い。
しかも客は私一人。
なんともよい。


高速バスの時間になって高速バスに乗り込むが客は私一人である。
観光バスに一人で乗ったのはうまれてはじめてだったのはいうまでもないが
「予約」は必要だったのだろうか?。

それにしても高速道路はすごい。1時間で金沢駅についてしまった。
高岡からちんたら走っていたのとは違いすぎる。
この旅の仕方は「さくら」のよう。

金沢駅についたらこの旅の意義は日本海まででることにあることに
ありそうだったので日本海まで行くことにした。

北陸鉄道線に乗り込み内灘駅から内灘海岸にアタックした。
海水浴客がたくさんいたが、無視して海に入った。
感動しました。


ある意味、これでこの旅はけじめがついたように思えます。

そして旅館へ。
旅館についたのは21時ごろであったが豪勢な夕飯を
器量の良さそうな若い仲居さんが準備してくれた。
古い時代の日本を感じさせてくれて好感のもてる女性にあったのは
はじめてです。旅館ですね。
もっとも現代日本版好感女性は、これまでたくさん会いましたが。

今晩も風呂は独り占めか。
ほんとに贅沢だ。


4日目

翌朝、加賀百万石博覧会(利家とまつ)、兼六園と軽く観光して
小松空港から帰りました。


とこんな感じの旅行でございました。

飛行機から富士山が見えました。素晴らしかったです。
また全日空の客室乗務員が機内放送で
「パソコンについているぴっちも主電源からお切ください。」
というようなことを言っていた。
こんなアナウンスはじめてである。私のことを注意しているのだろうか。

まったく話は変わりますがMr.Children(any)の新曲が現在のわたくしのお気に入り
です。


今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない きっと答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像に ほら
また12色の心で 好きな風景をかきたして行く

ご存知のことと思いますがちなみにこの曲はドコモのCMの曲です。



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